もう「ひきこもり」支援をやめて#helpnothelp

もう「ひきこもり」支援をやめてください

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都内の私立中学2年のアカネです。

この前、イケハヤさんの動画をみていたら、中学生でたくさんお金を稼いでいるキメラゴンさんが紹介されていました。その成功の秘訣は、「不登校」という言葉を使うセルフブランディングでポジショニングに成功した、からとのことでした。

https://www.youtube.com/watch?v=O__vhgik_oM

「ひきこもり」とか「不登校」っていう言葉を使うと、ネットやテレビが話題にしたり、それっぽい人が現れてコメンテーターの人が「甘えだー!」とか「問題だ」と辛口コメントをします。

そういうことになる理由は、「ひきこもり」も「不登校」も本人にとっての悩みではなく、その人の親が焦ったり不安だったり、悩んでいるからだと思います。

親は、会社にも学校にも行かなくなった子育てに悩んで、相談をしたり本を買ったりします。お金を払ってくれるから、そういう本が売れたり視聴率も上がったりするのだと思います。

本人たちももちろん悩んでいますが、ひきこもりも不登校も、何か原因があって結果として外からみたらそうなっているだけで、それ自体が原因で悩んでいるわけではありません。

たとえば、イジメが原因で不登校になった、という場合、本人にとっての悩みの原因であるはずの「イジメ」が、なぜか「不登校」の問題にすりかわってしまうのです。

これっておかしいと思いませんか?

実際は中学生もバカじゃないし部屋からネットでいろいろ調べてます

このすりかわりが起こると、こんどは自分がまったく知らない、おせっかいな「支援員」の人が部屋にやってきて、ドアの前で語りかけてきたり手紙を送ってきたりします。

「あなたにも居場所があるよ」といって、なぜか居場所を用意され始めます。 

でも本当の問題は、いじめが発生して学校に行けなくなったとたんにどこにも居場所がなくなることのはずです。

これは、親がお金を払って、不登校の相談や支援サービスを呼んだ、ということです。

いじめの問題は何も解決してもらえていません。

しかも、ひどい場合には、怖いおじさんがやってきてドアを破って、腕を引っ張ってどこかの施設に連れていかれる、とテレビでみました。

親の不安に付け込むこういった「ひきこもり」支援には、1か月60万円~100万円という高額な金額がかかるそうです。生活費も負担すると、もっとだそうです。

施設は、自立支援、自立プログラムが今度は準備されている、とテレビでいっていたので調べたらそういうことをウェブサイトや広告でうたっています。

でも実際は、何のプログラムも用意されてなかったり、ほったらかしにされるそうです。そういう暴力的支援、という言葉があることをインターネットで知りました。

私たちがこういった詐欺や暴力の二次被害に合うのは、大人たちが私たちの悩みにちゃんと向き合ってないからだと思います。

私は不登校ではないけど、大人には、私たちの悩み、たとえば友達をどうやって選べばいいか、進路をどういう風に考えたらいいか、ボランティアはどうやって選ぶか、とかを教えてほしいです。

学校に行きたくないことがあったとき、どういう風に考えたらいいかとか、お母さんやお父さんにもそういうことがあったか話をしてほしいです。

それで、私たちもいろいろ自分の悩みが言えたりするといいし、そういうことができるだけでけっこう元気になったりすると思います。

「あ、親が味方になってくれてるし、私が悪いことじゃないんだな」って思える、「相手がやっぱり悪いじゃん!」って。一緒に腹立ったり怒ってほしい。

でも、今みたいな社会になるのは、ほんとうはひきこもりとか不登校を支援する、って言いながら実際は親の立場から支援をしてお金をもらおうとする大人や、子供の気持ちを無視して一方的に考え方を押しつける親が、「これが愛情よ」と勘違いしているからではないでしょうか。

「ひきこもり」支援、という発想に問題があるからだと思います。

実際のところ、いまの私個人の悩みは、友達との付き合い方、学校の勉強についていけない、睡眠時間がうまく取れない、スマフォばかりやってしまう、学校がおもしろくない、とかです。

きっと、不登校とかひきこもりになる人も、そういう自分のことに悩んでいるんじゃないですか? 

これからどうしよう、みたいな。

でも「不登校」とか「ひきこもり」という言葉を使われると、その人自体の問題行動、みたいな感じになってしまうと思います。

実際は、誰もが直面する悩み、進路をどうするか、とか勉強どうするかとかは、みんなの問題だと思います。

みんな普通は悩むことだと思います。

その子のせいじゃないと思います。

私は学習ボランティアをしたいって思って、東京周辺の施設を見学したり、実際にちょっとお手伝いをしてみたけど、疑問ばかり感じてきた。

フリースペースとか居場所って、本人が自然と見つけるもので、「ここが居場所だよ」「傷ついたんだね」って言われても、そこが居場所になるわけではありません。

傷つくことを避けたい、とかではなく、傷つくことの中身をどう受け止めて考えたらいいかをシンプルに教えてほしい。

もちろん、傷ついた人を支援することは大事なことです。

でも、傷つかないで生きていくなんてできないし、傷つかないことで傷をカバーしようとするのは、大人のウソだと思います。

周囲の人を助けたり、傷ついて悩んでいる人を助けることは、私たち一人ひとりみんなにとって大事なことです。

お金を払ったり受け取らないと、傷ついた人にやさしくできないんですか?

それって不登校やひきこもりを支援することとかと、ぜんぜん違うと思います。そんな支援のための支援は、余計に傷つくと思います。

傷つかないように優しくする、とかいろいろなオブラートで包まれると、余計に色々なことがわからなくなる。

大人にはちゃんと、私たちが悩んでいることの説明とか理解を大人らしくしてくれたらそれでいい。

助けてあげよう、とかじゃなくて、一緒に考えてほしい。

だから、もう「不登校」とか「ひきこもり」という言葉を使って有名になろうとしたり、団体や活動を作ったり、そういう名前で私たちを支援することはやめてほしい。

ひきこもりは中学生だけじゃなくて大人もいる。私と同じこんな思いを一緒にもっていたら私たちは同じだと思う。

同じ思いをもってイライラしている人は、友達になってほしい。

不登校とかひきこもりという言葉を使うと、とたんに問題がヘンテコになっちゃう。

そんな思いを大阪に住んでいる祖母にしたら、「まったく同じことを今日、民生委員の勉強会で習ったよ」と教えてくれた。

それがわかこくを知ったきっかけだった。

おばあちゃんと会いにいったとき、資料を読むと欧米では、孤児の支援が本当は孤児のためになっていないから支援をやめよう!という#helpnothelp運動というものがあると書かれていた。

わかこくは、不登校を経験したりひきこもっている人が一緒に活動する「自助」を理念にしている、と知って、「これだったら賛成できる」と思った。

私は不登校とかひきこもりの問題も、#helpnothelpっていうメッセージが大事って思います。

私たちはそういうメッセージを出していかないといけないと思ったから、この記事を書きました。

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