近年、教育制度改革に伴い巷で話題となっている「大学入試改革」。
昨年末には、ほぼ毎日のように報道が行われ、そのたびごとに方向性が二転三転…なんてこともありました。
正直なところ、ここで振り回されている私たち高校生にとってみては、たまったものではありません。
今まで私たちが受けていた教育がいけなかったのかと否定されることに等しいからです。
現在の日本の教育制度は、小中学校が義務教育、高等学校、大学が高等教育機関ということになっています。
しかしながら、日本の高校進学率は95%を越え、大学進学率も50パーセントを優に超えるます。
実質高校まで義務教育化され、大学を卒業することは珍しくない時代になっています。
では、なぜこのタイミングで大学の入試を改革しなければならないのか。
その理由は、日本の大学教育の中にあります。
かつての日本は世界でもトップレベルの研究を行い、論文の量、質ともに世界で誇れるレベルに存在しました。
しかし、バブル崩壊、少子高齢化、大学の乱立(設立)に伴い、その量はどんどんと減っていきました。
それに対して危機感を抱いたのは政府でした。そのために、現在入試が改革されようとしているのです。
ここで問題は「大学の研究の質が落ちた」ということです。
つまり、高校から大学に上がる時点で、私たちはこのことをあまり重視していないのです。
しかし、いわば「入る前」ではなく「入った後」が重要なのです。
義務教育終了後、大学への進学など高等教育を受けようとする意欲のある高校生は、私の周りにもたくさんいます。
大学進学を目指す人間はどれも良い意味で上昇志向の強い人間がほとんどです。
受験競争のなかで、日ごろからの学習を欠かさず、常にお互いに高めあっていこうとする。
そんな学生が一昔前の教育(私は体験したことがありませんが)のころに比べて劣っているとはとても考えられません。
しかし、それでも国は改革を進めようとしている。国会議員の「私が変えた」という実績を欲しいがためのことに近いのです。
外部試験など、外部機関への委託問題しかり、それらが毎日のようにひっくり返っていく。
とても、受験生を意識しての改革には見えないのが現状です。
では、わたしたち結局高校生は何をすればいいのか。
それは、日ごろから行っている教育をそのまま受ければいいということにほかなりません。
そもそも、大学の入試は変更されても、高校のカリキュラムが変更されない限りは、日本の高校生が受ける教育の内容は、全国的にほぼほぼ均一化されているといっても過言ではありません。
つまり、どんなに入試が変わっても、高校生たちの中で大きく「私は有利」「私は不利」という問題は出てこないわけです。
なぜなら、変化が生じても、それに対応する同じような教育の基礎と形式を受け止めることになるから……
人生を大きく左右する大学入試改革。
私も不安でしかありません。不安でないといえばそれは嘘になります。
ではそんな時、何をすればいいのか。
答えはきっと簡単です。
「世の中で何が求められているのか」と考えればいいのです。
そもそも入試改革の根本も、世界で活躍できる人材を増やすために国が改革を行おうとしている(もちろん国会議員の実績づくりのためもありますが)わけであり、その本質自体は昔から大きくは変わっていないのです。
今も昔も、基本的な学力の必要性に変化はありませんよね。
英語が必要ではない、か。そんなことはない、むしろ、それは通過点になりつつある。
数学が必要ではない、か。そんなことはない、むしろ、AIの中で数学は重要度を増している。
歴史が必要ではない、か。そんなことはない、かつての歴史を鑑みてそれを重要かどうか見極め、凄惨な過ちは繰り返さないことが求められている。
ということは、 現代の高校生に求められている力。それは時代が流れても変化しない、「本質を見抜く目」だと思います。
どの時代になっても、必ず社会に出る上で重要になるもの。
その人間として大事な力を養うために、教育をしっかりと受けていれば、どんなに大きな敵が立ちはだかっても、私たちは立ち向かえるはずだと思うのです。