しりとりで遊んで学ぼう

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しりとりは子供の遊びだととらえられがち
しりとりは子供の遊びだと思われがち

 さて学習関連の記事も4本目。そろそろ、書きなれてきたsanadaです。私は全く堅苦しくて面白くない人間だと思われている人も多いのではないでしょうか。そんな今回。私のテーマは「遊んで学ぼう」。多くの人はこれに少しでも興味を持ったはず(そうであってほしいと願う私)。

 では、簡単に。遊んで学べるもの。それは、しりとりです。

 「しりとりぃ?子供っぽい」と思われる方がほとんどだと思います。芸能人にせよ、頭のいい学生たちの出る番組にせよ、取り上げられる回数が少ない、というかほとんどないこの「しりとり」というゲームは、いつの間にか子供の遊びに思われているのかもしれません。

 しかしながら、そのゲームが取り上げられない理由はほかにあります。それは、あまりも終わりのないゲームだから。知っての通りしりとりは日本語でしか通用しない遊びです。なぜなら、「ん」で終わるというルールが確実に存在し(なので「ンゴロンゴロ」などを許した日には終わるわけない)、日本語という言語が「文字と発音が完全に一致」するからです。

これは日本語にしか存在しないゲームです。確かに、ほかの「文字と発音が完全に一致する」言語はあるかもしれませんが、日本語以上に世界で共通語として使用される言語(英語、中国語、フランス語、ロシア語などの言葉がこれに当てはまります)においてはこの傾向はあまり見られません。例えば、英語においては「A」から「Z」まですべての文字が単語の頭にくる可能性がありますし、発音においても「one」と「won」が同一であり、理解しにくいなど、ゲームとしての根本にかかわる部分が多すぎるからです。

どの言葉からも始まることができるアルファベットたち

対して日本語は「ん」から始まる言葉が圧倒的にない(特に、方言などではない限り、「ん」から始まる言葉は存在しないに等しい)ために、これを忌避することでゲームが成立するわけです。

またもう一つ、しりとりにはルールが存在します。それは「同じ言葉を2度以上繰り返さない」というもの。このルールが存在すると無限ループになってしまいますからね。

この二つのルールにより、しりとりというゲームは非常に高等なゲームへと進化したわけです。語彙力のある人間同士の戦い。さらには、記憶していなければならないという恐怖。負けた方は悔しいと思うだろうし、知らない単語が出てきたときにはそれを知ろうとして調べることがあるでしょう。いや、むしろそうしなければなんでもありになってしまいますからね。

といった理由で、白黒はっきりつけ、誰が勝ちで誰が負けになったという世界を確実に作り出したいテレビ局にとっては、しりとりなど、全く金にならないゲームなのです。

視聴率優先のメディアに惑わされてはいけない

そういった社会の印象操作に負けてはならない。あくまでも、彼らは「お金」のために、回答をしているのです。番組を作っているのです。ですが、私はしりとりこそ、日本の文化を端的に表しているゲームなのだと思うのです。ちなみに、しりとりをしていく中で、難しいと思われるのが「ら」行と濁音です。この言葉で攻められたとき、ほとんどの人が多くを悩むでしょう。しかし、これは同時に単語を覚えるチャンスでもあるのです。

覚える単語が少ないということは、同時に覚える必要がほかのものに比べて格段に楽だということになります。

さらにこれに加えて「る」攻めだとか「り」攻めだとかで、相手を悩ませるのもいいかもしれません。確かに、性格が悪いと感じられるかもしれませんが、そこはゲームだと割り切ってください(笑)。

言葉を知っているということは全くのデメリットがありません。むしろ、多くの言葉を知っていた方が知的にみられますし、多くの専門的な話についていくことが可能です。頭の回転が速くなり、頭を効率的に使っているように感じられるこのしりとり、皆さんもぜひ試してみてはいかがでしょうか?きっと、いつも見ているものとは違った世界が見えてくると思いますよ。

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