はじめましてメルチャンといいます。
私は日本と中国の若者の自立について大学院で研究をしています。
今日は、「自分のことは自分で決める」というテーマで考えたいと思います。
自由とはなんでしょうか
日本人の若者と交流をしていて、まずはじめに驚いたことは就職活動の考え方でした。
日本人のほとんどの人は、同じスーツを着て同じ時期に一斉に就職活動を開始して、できるだけ大きな企業に就職しようとします。
もちろん、日本以外の国でも大きな企業に就職したい若者はたくさんいると思います。
しかし就職活動の同じ時期に、みんな同じような行動を取る文化は日本特有の光景だと思います。
中国ではもう少し自由、といいますか色々な選択肢があって、たとえば大学院に進学をしたり海外の大学に進学したりすること、あるいは旅に出たりインターンをしたりといったことも考えます。
驚いたことは、日本ではそういった大学院への進学や留学などのことを「モラトリアム」といって、若者を労働者にすることを急かすような風潮があることです。
「社会人」という不思議な日本独特の言葉もあります。
これは社会で働いて自立し、常識やマナーを身に着けた人のことを指すようです。
「社会人になる」とは、実際、若者にとっては企業に勤めて働くこと、を意味するようになっています。
私はこれは大きな問題だと思いました。
なぜなら、大学院への進学に価値を見出したり、海外を旅をしてみたりすることの意味を決めるのは、社会ではなくその人自身だからです。
「モラトリアム」「社会人」といった言葉で、価値観を方向付けしてしまうと、自然と個人の思いや生き方が否定されてしまいます。
とくに企業で勤務していないと「社会人」ではない、と言われるとすごく強烈に聞こえます。(中国人は漢字の意味をくみ取るので、特にそう感じます)
まるで人間ではない、と言われているような感じです。
しかし実際には世の中には、いろいろな働き方や生き方があります。
「中国には自由がない」といったイメージをもっていませんか?
私は逆に日本は「自由があるはずなのに、その自由を放棄している」ように思い、かえってもっと自由が無い状態になっているように思います。
それは、自由に自分のことは自分で決めていいのに、自分で決めない人がいるからです。
もっとしっかり言いますと、「自分で決めている、自分は自由だ」とみんな思っているのですが、本当は自分で決めていない、自由でもない、という状況です。
それはとっても可哀そうなことのように思いました。
たとえば日本は民主主義で自由の国だ、とよく言いますが肝心の選挙にはほとんどの人が投票に行きません。
また選挙しても、いつも同じ党を選択して独占的な長期政権に任せっきりです。
にもかかわらず、よくこの政権の文句ばかりを言っています。
しかし人々は政治についてしっかりした知識も無いし、議論も学校や社会でしていません。
「自由はある」といいながら、それを行使していない
自由という言葉の意味が、なにか権利のようなものだと思って勘違いしているの人が多いのではないか、と思います。
自由になるためには、しっかりと色々なことを学び、経験したり、本を読んで知識を身につけて、友達と議論をしたりして教養を身につけないと、自由にはなりません。
自分で自分を教育していく努力があって、はじめて自由な選択をする自分になります。
しかし多くの場合、「自由がある」というときは、なんだか商品の陳列台に並んだ品物を選択したり、サービスを選んで購入するような自由に過ぎないように思います。
教育は自由のため
今はインターネットで、いくらでも情報を調べることができます。
大事なことは、たくさんある情報をしっかりと得て、自分の関心と社会の関心のバランスを取った取捨選択をしたり、自分の考えを裏付ける事実を見つけたり、逆に他の人の意見を聞いて自分で考えたりする、考える力だと思います。
考える力がないと、自分のことを自分で決定することはできません。
子供のときに知識を詰め込むことは大事ですし、またその知識についていろいろな人と議論をしたりすることも自分のことは自分で決めるためには大事だと思います。
しっかり自分のことは自分で決める人になれば、一時的に人生の困難、たとえば失業やひきこもりや不登校や、いろいろな日本社会でいわれている課題に直面しても、しっかり自分の人生を歩いていくことができます。
しかし自分のことは自分で決められず、そのために必要な教育を自分にしていない人は、どんどん流されて生きていいくだけになります。
そして貧困になったり無理をして会社に通い続けたり、過労死をしたり、ぎゃくに自分で何をしたらいいのかわからずにずっと無職のひきこもりをしたり、自殺をしたりするのではないかと思うのです。
中国もとても発展して物は豊ですが、どんどん日本のように心を病む若者が増えてきています。
わたしたちはしっかりした考えをもって、自己の人生を生きていかなければなりません。