情報化社会での取捨選択

目次

①はじめに

 現在の世界は、日本を含め、多くの国が「情報化社会」というものに移行しつつあります。「5G」や新型スマートフォンに代表される携帯電話会社のCMや企業で使う会計ソフトのクラウドサービスの宣伝、新聞のオンラインによる記事等、もはや、インターネットなどの通信技術は私たちの生活になくてはならないものになりつつあります。今回は、そんな中での情報の取捨選択についてまとめてみたいと思います。

②情報の氾濫

 最初にお断りをしておくと、私のまとめている感想も、ときに間違ったものである、あるいは間違ったものになる可能性があります。それが明日か、来月か、あるいは永遠に来ないか、それはわからないのですが、それが同時に現在の情報の多さを表しているとも言えます。

 現在の情報はいわば「氾濫」した状態にあります。かつての報道が一方通行の媒体で送り付けられていたのに対して、現在はパソコン、携帯電話の普及に伴って多くの情報が双方向に送信できるようになった。これは多くの情報が流れることを表していたのです。

 しかし、それは同時に間違った情報さえ流してしまうことを意味していました。今回のコロナウイルス感染症の情報ではトイレットペーパーの買い占め、あるいはマスクの買い占めなどといった「騒動」が発生したことは記憶に新しいかと思います。

 ですが、実際に見てみるとどうでしょうか。確かに、マスクは需要過多により一時品薄状態が続きましたが、特にトイレットペーパーについては常に安定した供給が出来ていたのではないでしょうか。

 では、何故そのような「買い占め」に発展したのか。それは、間違った情報が流れたからに他なりません。つまり、誰かの発した何気ない一言が、社会に拡散され、「氾濫」を起こした結果、多くの人がそれを信用し、なだれ込んだということなのです。

 情報が一方通行だった時代でも1973年にある女子高校生が発した噂を基に、豊川信用金庫事件なるものが発生したのですから、今回の騒ぎの大きさがよくわかるかと思います。

 さて、この時にふと疑問に思うことがあります。それは何か。今回の騒ぎをどう対処すればよかったのかというものです。一度でも群集心理に入ってしまえば、その後そこから抜け出すことは容易なことではありませんが、どうすればこの混乱に入ることなく居られたのでしょうか。

 それは簡単な話で、一次資料を探す、ということです。新聞にも見られる通り、報道は一字一句までを正確に情報として発信することはできません。何かしらの情報源、主観、煽り文句などが入って構成されているのです。

 しかし、一次資料、つまりその情報の発表元はそうではありません。例えば、トイレットペーパーの話で見るのであれば、その一次資料は製紙会社の公式ホームページとなります。もちろん、意図的に改ざんされている可能性も無きにしも非ずですが、それでも我々が噂として耳にするものよりは正確なものであることに違いはありません。

③情報を見抜く大切さ

 そこで、私が提案するのが新聞記事の切り抜きです。多くの場合、新聞というのは数人の編集員の目を通して発行されています。会社によって保守派あるいは革新派など論調は様々で、記事によってはその正確性を著しく欠く場合も存在しますが、とっかかり、つまり興味を持つと言ったことはできるはずです。

 その資料がなんであるのか、あるいは何を引用すればいいのか。そう言ったことは、多くの場合記事の中に書いてあるのです。さらに、それをスクラップしてみるというのも有効な手段です。

 新聞であれ、インターネットのサイトであれ、そう言ったものは切り抜かなければ、保存しなければ時代と共に流されていってしまいます。

 しかし、時代を川の流れに例える場合、その川は一体どこから流れてきているのかと言ったところにも目を向けることは必要なことではないでしょうか。

 何も、情報に限った話ではないのですが、何がどうあって、どういう風に変化した結果、どのような結論に至ったのか。そう言ったことをとらえられること自体が、今後の「情報化社会」を生き抜くすべなのではないかと、私は考えます。

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