原始仏教 のお坊さん・見習僧・小僧の生活習慣について

目次

原始仏教 のお坊さん・見習僧・小僧の生活習慣について

 

こんにちは、カムラです。今日は小乗仏教とも日本で言われている原始仏教でお坊さんがどんな習慣をもっているかをご紹介します。

 

大乗仏教? 小乗仏教?

仏教は、2種類に区分できます。それは、日本語では小乗仏教 と大乗仏教と区別されています。仏教が広まり始めた当初、原始仏教・上座部といわれる小乗仏教がスタートしました。そのあとに、大乗仏教が「自分の修行で自己一人が救われる」、そんな小さな仏教だ、と批判する形で「小乗」(しょうじょう;ヒーナヤーナ、Hīnayāna)と呼び始めました。ですので、小乗、という表現は大乗の立場から、批判を込めた呼び方なんですね。

小乗仏教は主に東南アジアの諸国で、現在も信仰されています。具体的には、ラオス、タイ、カンボジアなどです。大乗仏教は主に中国、ベトナム、日本などで信仰されている仏教です。

この二つの相違は、またいつかご紹介したいと思います。

今回は、原始仏教のお坊さん、見習僧、小僧の毎日の生活習慣についてご紹介したいと思います。

原始仏教のお坊さんの生活…

小乗仏教のお坊さん、見習僧、小僧の毎日の生活習慣は、そのお寺のルールによって異なります。お寺のルールはそのお寺の住職が決めます。しかし、一般的なルールは、ある程度、共通しています。

一般的には、午前4時ぐらいに起床して、お経を読んでいます。(お経を読む時間はお寺によって異なります。一般的に、30分から1時間ぐらいかけて読んでいます。

しかし、厳しいお寺は2時間ぐらいかける場合もあります。

お経を読んでからお寺の仕事をします。

具体的には、お寺の掃除やお花に水をあげる、などです。

お寺の仕事をしてから自分がしたいことをしています。具体的には、シャワーを浴びることや本を読むことなどです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、托鉢(タクバート)をしに行きます。

托鉢では、毎日の朝お坊さん、見習僧、小僧たちが丸い器を持って、お寺を出て道沿いの街を歩いきます。

一般の市民たちは、その道沿いでお坊さん、見習僧、小僧達を待っています。

お坊さん、見習僧、小僧達たちが自分の前に着たら、奉納する食べ物、もち米(カオニャオ)や料理をその器に次々と入れていきます。

 

https://youtu.be/ht3Wn_MFRBU

なお、托鉢をしに行く時に列を成す順番についてですが、先頭が一番偉い人です。ほとんどの場合は、そのお寺の住職ですね。後尾は小僧です。

器に食べ物を入れるときには、手を拝んでお坊さん、見習僧、小僧からの祝言をもらいます。(お坊さん、見習僧、小僧からの祝言を聞く時は、ある人は地面に水をかける場合もあります。土地に水をかけることは 亡くなった人に食べ物をあげることを意味します。

托鉢をしに行く時間はそのお寺と市民が住む町までの距離によって異なります。

一般的に1時間ぐらいかけて移動します。

托鉢の後は、いただいた食事で朝食をしています。

朝食の後は自分がしたいことをしています。具体的には、学校に通ったり、何らかの本を読むなど、といった勉強をしています。

昼食は大体11時から12時までぐらいに取ります。

午後になると、大体 午後4時~5時ぐらいまでは、お寺の仕事をしています。具体的には、お寺の掃除などです。午後6時~7時ぐらいには、再びお経を読みます。

お経を読んでから、自分がやりたいことをしています。

具体的には、瞑想をすることや仏教の教訓に関係がある書物を読んでいます。就寝は大体午後9時~10時ぐらいです。

ちなみに、前回のブログでもお伝えしたように、お坊さん、見習僧、小僧は晩ごはんを食べてはいけません。

しかし、最近では隠れて晩ごはんを食べている場合もあります。

お寺の掟を破るお坊さん、見習僧、小僧は、隠れて晩ご飯を食べることなどは住職にお寺を追い出されるなどの懲罰の対象にもなります。

 

小乗仏教 のお坊さん、見習僧、小僧の生活習慣については一般的に上のとおりです。

 

お寺はラオスの社会福祉-セーフティーネット!?

 

お寺で見習僧などになる男性は、さまざまなバックグラウンドをお持ちです。仕事をしていて、少し自分を見つめ直したい、と思った人も僧になる場合があります。また、住む家や食べていくためのお金がない男性も、衣食住を確保するためにお坊さんになったります。

その意味では、この仏教僧は社会の重要なセーフティーネット、自生の民間社会福祉制度になっているということもできると思います。

しかし、同時にそれは女性に対するセーフティネットが、まだラオスでは弱いことも意味していますね。

私の主観的な考えでは、今の時代は、どのような宗教も人々からの信仰心・宗教心を維持するためには大変な時代だと思います。先にも触れましたように、戒律を守る/守らないお坊さん/見習僧もいます。これから、特に、若い人たちがお坊さん/見習僧を尊敬しない人が増えていく傾向があると思います。

share