ラオス人の出家の習慣について

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ラオス人の出家の習慣について

 

前のブログに書いたように、ラオス人は主に仏教徒です。

ラオス人の従来の社会にとって仏教ははなくてはならないものです。

なぜかというと、従来のラオス人は悪夢を見た時や悩んだ時などは、お寺に入ってお坊さんに相談をすることが多くあります。これらのことをよく観察してみると、仏教はラオス人の精神性や価値観、そして社会に形に深く関係があることがわかります。

 

ラオスの文化、慣習、習慣などは色んな側面は、仏教の影響を受けています。

たとえばラオスはお正月の時期なると、お坊さんを自分の家に招き、その教えと教訓を聞き、食べ物を奉納する習慣があります。ラオス語もたくさんの仏教の言葉(主にパーリ語)の影響を受けました。ラオス人でも時々は仏教の言葉か、ラオス語か、紛らわしいくらいです。たとえば、英語のplease(プリーズ)に当たる単語に、karuna(カルナ)があります。これは日本語でいう「慈悲」や「同情」を意味しています。

 

次に、ラオス人の出家の習慣についてご紹介したいと思います。

ラオス語には「ເກີດເປັນລຸກຜູ້ຊາຍຕ້ອງບວດຕອບບຸນແທ່ນຄຸນພໍແມ່(カッーペーンルークプサイトーンブァントォブーンターンクーンポーメー)」という表現があります。

この表現に相当する日本語は「男性は親孝行のために主家しないわけにはいかない」といったものに相当します。

 

従来のラオス人の親の思考では「もし自分の子供を出家させたら、自分が亡くなった時は地獄に行くことがない」と信じています。

 

その反面、子供にとっても、出家をすることは親に「親孝行」を表すということを意味します。

このような思考は、ラオス人の従来の社会に伝統的に存在しています。

 

次に、出家式についてご紹介したいと思います。

 

ラオス人の男性は、以上の理由から一生でせめて一度は出家しなければならないような感覚を共通としてもっています。出家しないことは、ラオス人の社会では通用しないといっても過言ではありません。出家したがらない人は、「親不孝」の人と責められるかのような規範意識があるのです。

さて、出家式を通して、男性はお坊さん、見習僧、小僧になります。勝手に自分がお坊さんだ、などと名乗ることは禁物です。

 

出家する際には、親の許可をもらう必要があります。親からの許可をもらってから出家する日にちを決めます。

日にちを決めてから、その旨をお坊さんに知らせます。

出家の当日になると、出家する人の親戚や友達などが出家式に集められます。

 

お坊さんの出家する過程と見習増、小僧の出家する過程は異なります。お坊さんの場合は、より難しいです。まず、お坊さんになるためには、20歳以上であることが必要です。

見習増と小僧は18歳以下の人がなります。

この二つの相違はあとでご紹介したいと思います。

出家してからは、親のみではなく周囲から尊敬されます。ラオス人は、お坊さん、見習増、小僧を尊敬しているのです。すでに、前回にお話ししたように、貧しい人が見習い小僧になったりするわけですので、経済的な優劣ではない価値観から尊敬を抱く、つまり仏法に奉仕する精神性をもって人が人を尊敬する文化であるともいえます。

ラオス語には、お坊さん、見習増、小僧に対してのみ使用する特別な言葉があります。たとえば、具体的に「ສັນເຂົ້າ(サーンカオ)」です。「ສັນເຂົ້າ(サーンカオ)」は日本語で「ご飯を食べる」と言う意味です。。「ສັນເຂົ້າ(サーンカオ)」はお坊さん、見習僧、小僧とに対しての言葉です。このように、お坊さん、見習増、小僧と話す時は、普通の人と話す際とは違う言葉を用いるのです。

 

因みに、女性はお坊さん、見習増、小僧になることは禁止されています。また、お坊さん、見習増、小僧は女性に触ってはいけませんし、女性の傍に座ってはいけません。

 

私が観察している限りでは、最近ではこの出家をしたがらないラオス人が増えていきている感じています。もしかしたら、少しずつ出家への価値観が、ラオス社会からなくなっていく傾向にあるかもしれません。

なお、今の時代は、どんな宗教でもその精神性の存続に困難を迎えていると思います。経済的な、あるいは物質的な豊かさばかりを求める世界的な傾向から、高い精神性を求めるような出家をしたがらない人々が、ラオスのみではなく増えていっているのではないかと思います。

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