イギリスのEU離脱に見る、社会の在り方

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 先日(とは言っても、この記事の下書きを行っているときは当日なのですが)、EU(欧州連合、ヨーロッパ連合)からイギリスが離脱をしました。長きにわたり交渉を行い、一時は「合意なき離脱」とまで揶揄された離脱は、いったいなぜ起きたのでしょうか。そして、それをもとに世界は何を考えなければいけないのでしょうか。高校生の私の視点なりに整理して考えて見ました。

大英帝国の首都・ロンドン

 そもそも、EUとはもとをたどると、その起源は1950年のシューマン宣言に始まり、それに基づいて設立された「欧州石炭鉄鋼共同体」にあります。これは、フランス・西ドイツに加え、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの4か国が加盟し、全6か国で構成されたものでした。

 さらに、なぜこのような組織ができることになったかの背景については、このわずか数年前に起こった第二次世界大戦にその原因が隠されています。第二次世界大戦は、第一次世界大戦での敗戦処理の失敗と世界恐慌のために勃発したものだとも言われます。しかし、理由はそれだけではないのです。

 さらに元をたどれば、フランスとドイツは、その地域から多くの資源(特に鉄と石炭)が取れることから、この地域をめぐって戦争を頻繁に行っていました(『最後の授業』などの書籍からも若干ながらその様子がうかがえます)。しかし、それによってナショナリズムのぶつかり合い、ファシズムの台頭が起こり、結果として欧州全土が疲弊することになりました。

 しかし、そう言ったことは繰り返さないということがこの組織の設立目的でした。しかしながら、これはその一方でグローバリズムをゆっくりでありながらも、しかし確実に浸透させていったのです。

世界は一体化しようとしている

 さらに、このグローバリズムは大きな戦争の惨禍がもたらされた欧州にとって、その過ちをそれ以上に犯さないためにもとっておきの動きであったのです。今からでもやり直しを利かせることができる。それが大きな点でした。

 1973年、欧州諸共同体(原子力等)にイギリスが加盟します。そしてこれからの56年間。イギリスは見事にこれに加盟をしたのです。

 さて、EUの中では多くのことが決められてきました。経済的な面も大きく変化したり(共通通貨・ユーロの開発)、国境的な面も大きく変化したり(シェンゲン協定)しました。が、その多くは、ドイツの暴走を止めることや、アメリカ合衆国への対抗のための大規模経済圏の形成のために決められたことでした。

 そのことも含めた様々な要因があって、欧州全体としてはまとまったように見えてくるわけですが、これに例外が発生してきます。それがイギリスでした。イギリスは例に挙げた二つの協定および条約に批准していません。したがって、イギリスがEUに加盟していた時でも、イギリスから国境を超える際にはパスポートの審査が必要でしたし、通貨はなおも独自の通貨単位、ポンドを使い続けることになったのです。

グローバリズムとナショナリズムは表裏一体

 尤も、かねてからイギリスポンドは主要通貨として、世界でも広く流通していましたが、現在となっては、経済大国であるにもかかわらずポンドを使用し続けているから主要通貨になるのか、主要通貨として実際に世界各国で使用することができることのどちらの方が先なのかという話になりますが…

 学校のクラスほどの人数でも、たくさんの意見が出て、時にはその考えがまとまらないことがあるように、EUも年を重ねるごとに加盟国が徐々に増えていくようになりました。中には、EU設立当初は、旧・ソ連に加盟していた国や成立していなかった国さえもあります。そのため、各国が抱える経済状況もばらばらになっていったのです。

 特に、西欧はイギリスやフランスなど裕福な国が多かったものの、東欧のブルガリアやチェコなどは旧ソビエトに入っていたこともあって、必ずしも富裕層ばかりかと問われればそうではありません。

 そのために、裕福な国だけが加盟していた時期に比べ、雰囲気が変わったというのは理由としてあるでしょう。

 しかしながら、私はイギリスの離脱に対して、今も疑問あるいは釈然としない点をいくつか感じます。

 果たして、イギリスは本当にEUの中で「損」をしていたのでしょうか。尤も、この離脱は損得勘定によって国民投票が行われ、決定した事項なのです。したがって、そこには損がなければ離脱は行われなかったはずなのです。

 しかし、たとえEUの中に入っていたとしても、実際にどれほどのことを行っていたのかと言われれば、フランスやドイツほどではないでしょう。国境は残りましたし、通貨も独自のものを使用し続けることができました。

相互の理解が必要、これはいつの時代でも変わらない

 確かに、私はイギリスに住んでいたことはありませんし、イギリス人の「苦しみ」を理解できる立場にはいないことも存じています。

 しかしながら、一時の損得勘定だけで離脱を行ってしまった。私にはそう見えるのです。21世紀はグローバル化が叫ばれる時代になりました。しかし、そのグローバル化は、一方で「自分とは何か」という自分自身に問うという側面も生み出しました。その結果が「ナショナリズム」の台頭。まったくもってこれを悪いというわけではありませんが、急激な両者の台頭は人類にとっての脅威であるとも見えるのです。

 人間には程よい「間」が必要なのかもしれません。
 少し、落ち着いてみませんか?

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