初めての投稿となります。関東在住で、現在はひきこもりのさとなか(ペンネーム)と申します。
私は大学生の頃から、徐々に学校へ行けなくなりました。親にも相談できず、下宿先で数年間を過ごしてました。
実家に連れ戻されてからは既に7年ほど、ひきこもり生活をしております。もともとTwitterで交流があり、多くの方と相談に乗っていただいておりました。
Wisaの方は、自分を見下すことなくただの友人のように接してくれました。それももう1年ほどになります。現在は、初めてのライティングという仕事をもらい、人生で初めての収入を自分で得ております。
正直なところ、このWisaの取り組み-ひきこもりを支援するのではなく、みんなで仕事をしていく-という発想は素晴らしいものだと思っています。この「支援をしない」という支援のコンセプトが世の中に広がっていないのはなぜだろう…
私自身、まだ心の浮き沈みがあったり、自己肯定感がほとんどございませんが、何も偉そうに書くことはありません。
ただ、生活を送る中で、ずっと「ひきこもり」になったことを親のせいにしたり、自分のせいにしてきたのでその「思い」についてしっかりとまとめたいと思いました。
今の世の中、ネットを検索すると「情報」をまとめたブログ記事は多いですが、「思い」を書いた記事って意外とないと思いました。
そしてその内容にサブタイトルはつけましたが、あえて整理しないままエッセーのように言葉をぶつけまくりました。「情報のまとめ」も、この記事にはありません。
今回は「ひきこもり」が「自業自得なのか」ということをテーマにエッセーを書いていきながら、私とWisaとの出会い、自分がライターとして仕事をし始めてひきこもりを脱却するまでの「心の事実」をただただ書いてみたいと思います。
ひきこもりは問題ではない

Wisaの人からある時期からすすめられたことは、動画を見ることでした。
youtubeで毎日、1本くらいのペースでこれを見てほしいと…いろいろなyoutubeの動画をみることになりました。
そんななかで、manablogというブログを書いている、元ひきこもりのまなぶさんの動画が、自分の中で考え方の変わるきっかけとなりました。
今でこそ、「自律型キャリア」(詳しく解説した記事はこちら)や「ギグワーク」なんて言葉があります。
でも、僕が引きこもって死にそうだった頃は、そんな風潮はなくて「何だか詐欺っぽい話だな」としか思えてませんでした。でも、少しずつ、「引きこもってても本読んだり勉強はできるよな」という気持ちになっていきました。
この人の動画はいろいろ勉強になりました。彼が言っている内容はいろいろなヒントになっていきました。それまで両親の描いている理想や社会の価値観にとらわれてきたことがわかってきました。大学に入ること、大学生活を陽キャで過ごし、卒業すれば大手サラリーマンになるまでとにかく「我慢することは当たり前だ」、と私を攻めてきた両親……。
でも、高校まで両親が莫大なお金を投入して進学塾に通った私が入った大学は、Fランクと言われている大学でした。
希望していた関関同立の受験に失敗したんです……大学入学後、両親に合わせる顔がない、自分はもう価値がない人間とさえ思うようになって大学に通うことが苦痛になりました。
実際にその大学の質は色々な意味で悪かったのも、ショックでした。 授業中にはまともに先生の話しを聞けない、絵にかいたようなダメな学生ばかり…と思うことがたくさんありました。
そして何より、自分がそのダメ学生の一員となって、社会から同一視される、ということが自分の自信や自己肯定感をずたずたにしていったのです。
自分の誇りを失っていたところに、拍車をかけたのが大学に入ってすぐの正月、私が家で配膳を手伝っていたときに、ふと台所に食器を取りに行くと集まっていた親族が「やっぱり〇〇は、受験失敗だね。心はいい子なんだけど」
と噂されているのを聞いてからでした。
もう心が持たなくなって、もう何もかもやる気をなくしてひきこもっていきました。
ひきこもりでも、とにかく耳が痛い情報をインプットした
そんなことをWisaの方に打ち明けたとき、紹介された動画がイケハヤ大学という、YoutubeチャンネルのFランクについての動画でした。
Fラン大学に行くことはまったく無駄、行くな、という内容だったのですが、すごく自分の体験から「そうそう」と納得がいく話しをしてくれていました。そして、やはりこの人も「勉強することは大事だ」とずっと言い続けていました。
私はこの動画をみたとき、すでにFラン大学を退学して、実家で7年目のひきこもり生活を迎えようとしていました。
毎日はただFPSのゲームをして、Twitterでネガティブを吐いて過ごす日々でした。
このイケハヤ大学の動画は、自分が頭の中で考えてきたことを、しっかり言語化してくれていたので「何かゲームの時間を勉強に費やそう」という気持ちにしてくれました。
自分が狭い価値観や考え方に囚われて、これからの時代は今の自分をまったく恥じる必要がない、という気持ちになっていきました。
親にはまったく受けいれてもらえなかった、考え方だ。それを言葉にしてもらいたかったことに気づいたんです。
このマナブさんやイケハヤ大学の動画が、ライティングを勉強をしようとしたきっかけでした。
そのときには「これから、自分の人生を少しずつ変えていこう」という気持ちと、「新しい自分への希望」が少しだけ芽生えていたと同時に、Wisaへの感謝の気持ちが大きくなっていきました。
ただ、今でも私は葛藤していることがあります。 本当に沈んでいるときに、そんなに単純に希望とか、希望のようなものが出てくるわけではない。
これについて、ここで書いておきたいと思います。

自己肯定感の有無が、長期ひきこもりの原因
ひきこもりでも、年収数千万を稼ぐ人や、もともとひきこもりだったが今では社会で活躍している、という人は山のようにいます。
つまり、ひきこもりは、長期無職の言い訳にならない時代になってきた、ということです。
ひきこもりから脱出した成功者は、ひきこもっている期間に何か将来に有益なことをしていました。たとえば、今、私がしているライティングの勉強……。
資格の勉強や、自己啓発書の読書など、youtubeをみることもそうですが、そういった行動を気分が本当に沈み込んで長期間、ひきこもりになっている人には、できないんです。
この記事を読んでいる人が、ひきこもりの方であればきっとわかってくれるはずです。
理由は次のようなものです。
◇友達や恋人との交際経験が他の人と比較して圧倒的に少ない
◇成功体験が少ない。逆に失敗体験のトラウマがある
◇人と会話になると、 言葉が出てこない-話すこと自体がストレス
◇正しい解答があると何かにつけ思い込んでいる
◇他人にどう思われているかを気にしてビクビクしている
これが原因で、自分はどうもずっとひきこもっていました。このせいで、何かを学んでも何にもならない…自分が嫌い過ぎて自分が成功していくようなことに期待が持てない、自暴自棄のような気持ちになっていました。
ひきこもりが原因ではなくて、両親以外の他人から愛された経験がなかった…だから自分自身を自分が愛せたことがなかった…これが一番の深い原因だった気がします。
ただ、そういうこと自体を自分でわかったことが、前に進む一歩でした。
べつにそれでどうということはないが、とりあえずこの状況に自分はあるんだということを知るだけでよかった、というわけです。
たとえば、先に紹介したマナブさんの場合ですが、気持ちが沈んでいたひきこもりの頃にこの動画をみても、
「こいつイケメンだから女子からもててきただろうな」
「ひきこもる前は、企業にインターンしたりイベントしたり、もうすでに基礎的にもってるコミュ力が違う」
「有名大学出身だから、受けてきた教育が違う」
こういう感じで、すぐに自分と目の前の語りや情報を比較して、「あきらめる理由」を自分から探してしまう。
実は、WisaのC-BEDというリテラシープログラムで、ある方が「ひきこもっている人は、心理学について学ぶとなぜか回復していく人が多い」ということを言われたんです。
それがきっかけで、「劣等感」や「コンプレックス」という心理学の言葉を検索しました。そういった自分の心の状況を、単語で説明されている言葉を知ることで、他人の目で自分のことが見えたような気がしていきました。
こんな感じで、難しくても心理学を勉強することが、自分のことを考えるきっかけになっていきました。
ひきこもりは自業自得です
私はひきこもりは、自業自得だと思います。その理由は、他人との違いや世間の価値観ばかりを尊重して「自分を愛せていない」という自分自身に原因があるから、という意味です。
ずっとひきこもりをする心理では、縄をつけられた象が、縄を取られても逃げ出さなくなるみたいに、「自分にはできない」ということが、すべての前提になっています。
人との違いを自分で見つけて、何もしない理由を見つけ自分を納得させようとしてしまう、そんな自分が負のループになってずっとひきこもっていることに気づいてもらいたい。同じように、自分が許せないと他人のミスや失敗も許せなくなって、仕事を始めてもすぐに辞める理由をみつけて、何も続かない……。これが長期ひきこもりの実態のほとんどじゃないかと思います。
一時的に落ち込んで不登校や引きこもりになりました、とは違って、いつまでも長期のひきこもりをするのは、完全に自業自得です。
だから実は最初に紹介した動画はいずれも、すぐには受け入れられなかった。
自業自得というのは、「自分だけのせいだ」と自分を責める言葉ではありません。今まで私をつくってきた親、学校、友達、恋人、社会、テレビでみる情報、ネットで会う言葉、動画、すべての世界と自分のかかわり、周囲の人との縁や環境を含めての、いまの自分が得てきたすべてです。そして、自分自身がこの業から抜け出せないと、どれだけ情報を得て周囲が支援をしても、自立することはできない。 自分の認識自体が、すべての情報を「だめ・ムリ・自分に関係ない・失敗する・どうせ何にもならない・やめる理由は…」と考えるからです。 だから、「長期のひきこもりを支援すること」はまったく間違っているんです。ひきこもり本人が自分の人格と認識を変える決心をしないと、前には絶対に進まないのです。
私の場合、自身のなかにあった思いは、そもそも、何もしてこなかったという思い罪悪感に似た自責の思いでした。日々、親との生活の中で、飯一つを作ってもらって食べるだけで、植物人間のような自分を責め続けました。家族の優しさが、自分の情けない気持ちをどんどん強めていくのです。
私には何もできない。
「何かを頑張ろう」、「勉強をしよう」とか思えるためには、最低限、自分を好きになれないといけないのです。
それを自己肯定感というのか、どうかはわかりませんが、「私はこれが好きです」とWisaの人が自己紹介をしているのを聞いていた時に、自分はどうしてそんな当たり前のことさえも言えないのか、気づかせてもらえました。 「私が何かを好きになれないのは、自分が自分のことを好きじゃないからだ…」そう気づいたのです。
だから、ライティングの勉強をやろうとしても、「できないだろうな」と思うのは、そもそも「そんなことをがんばってうまくいっているとしても、その「自分」がそもそも好きじゃない」から続かない。
いまでも、思っている。「努力をする・しない」ではなくて、努力の先にある、希望がまず見えていない理由は今の自分が思っていたいと思っている自分と違うからです。
そうして、希望がないから、人生の目的が見えてもこない。地図のない航海に出たくないように、目的がないのに努力もできない、だから周囲には「引きこもっていて無気力」に見えるのです。
どうせ沈没する船に乗っているのだから、という無力感です。だから、長期ひきこもりはすぐに「自殺」を言い訳にして、「どうせ死ぬから」と言って、今の自分をやり過ごそうとかしたりもします。
どうして他人に相談しないのか……
ひきこもりでネットに依存、そういう人に限って、ずっと変化が起こせなくなっていく。自分が自業自得の負のループにある状態の判断材料は、「1年前と変化がない」ということです。
自分を知らない、いつでも今の自分に不満をもっているくせ、そのいやな結果を生み出している考え方や行動が何かを知らない、そしてそれを変えるために何をしたらいいかもわからない……わからないというよりも、行動するための勇気や気持ちが沸いてこないのです。
自分の認識や人格が問題なのに、自分で自分への変化が起こせない、というのが長期のひきこもりの特性です。「それを支援してあげるよ!」と思っている多くの世の中のひきこもり支援者に本人が絶対に相談に乗りたくない理由は、すでに述べたように「社会の方が間違っているのに、その社会に連れ戻そうとしないでくれ!」という気持ちがあるからです。 だから、誰も相談したくないし、言われることもそれに従った結果、どんなことが待っているかを予想できてしまうから…。
だから、主体的にひきこもりたくてひきこもっているのではなく、結果的にひきこもりになっているのです。自分の考え方や物事の見方、とらえ方が、完全に自分から主体性みたいなものを奪っている、だからこのブログでは「自業自得」だと伝えたいのです。
それは自分を責めているわけではなくて、自分の人生を振り返ると、どうも他の人がもっているもの、もつ機会があったもの-自分を好きになる機会を奪われてきたように思うのです。
自分には生きていくために、奪われたものがある、ただそれを把握するだけで、自分のせいにせずに、でも自分次第で何か変化を起こすしかないことに気づいていったのが私の長期ひきこもり脱出の心理過程です。
言葉にすることの大切さ…
友達もできない、できても裏切られたり、軽いいじめにあってきた、友達といてもおもしろくない、誰からも褒められない、気をつかってばかりで、しんどいだけでした。
恋人なんてできたことがない……母親以外の異性に愛されたことなんてない。そうしたことを、自分でWisaのジャーナリングという取り組み(これについては誰かに記事にしてもらいたい。Wisa関係者以外にも知ってもらいたい最良の取り組みです)のなかで、「言葉にすること」を通じて理解できるようになっていきました。 言葉を獲得していくことが、自分を変えることにつながったのです。
自分が何かをできない-そう思い込む理由は、自信がない、というよりも「人に受けとめてもらえたことがない」ということを「自分も受けとめてこなかった」ということ。
自分で自分を肯定できないのは、「他人に肯定してもらえるような成功体験がないということ」、という自分を受けとめてこなかった、ということ。ちょっとややこしいですが…
だから、「就職活動をして会社で働く」「サポートステーションで面接を受ける」とか言われても、自分が行ったことのない世界の国の話をされているのと同じような気持ちにしなかならなかったのです。
希望をもっても、その希望通りに生きれたためしがない人にとっては、希望をもつことは習慣的にできないわけです。
そんなときに、家で何をしているのんだろうか…日記(ジャーナリング)を書くことではっと気づきました。
「私は、希望はないけど、FPSなどゲームの依存症になってそればかりをずっと引きこもってしてきた」
しかし、これらは、好きというほど、前向きでもないですし、さきほどから言っている支援者の人に話してもまったく無意味な「病気-依存症」の症状みたいにしか受け止めてもらえなかったのです。たぶん、ひきこもりを否定してそこから脱却させようとしている精神科医みたいな人達の視点からすれば、私が夢中になっていたゲーム依存は症状でしかないのです。
好きではなく、それ以外にできることがないだけの話だが、それをすることに「努力」をしていると感じていませんでした。
ただ、このNPO法人Wisaはそもそもオンラインゲーム上で結成されたことを知ったときに、衝撃な「通路」が脳内に建設されました。 「ゲーム依存してる」=ゴミのような人生を送ってきた自分=まったく好きになれない、ということと「起業」というまったく意味のつながりがなかった謎の「通路」が建設されたのです。 その話しを聞いたときに、まったく受け入れられなかったのですが、自分がゲームしているときにその話しが脳内から離れなくなっていきました。
ただ、Wisaの人はまったく違った。まず依存しているゲームのタイトルをいうと、「あ、俺もやっててあのキャラ好きなんで昨日グッズ買いました」という雑談から、そのゲーム紹介を記事にするライティングの取り組みについて提案してもらったのです。
「え?」 という気分でしたが、そこからとりあえずWisaが何なのか、何を発信しているのかを一生懸命知るように努力しました。
それでも、当初はずっとyoutubeの動画の多くが好きになれなかったのを覚えています。「どうせ成功者はもともとできるやつ、友達も恋人もできたり、大学もいいところを出ていたりするやつ」だ、と思い続けてきました。
ただWisaには中卒・高卒学歴で、ウェブ制作を通じて企業を支援していることを知って、「自分が思いこんできたことが間違ってた」が実証されていきました。 最初、その実証は残酷に感じて、拒否し続けていましたが、じわじわと新しい思考の習慣が生まれていきました。
まとめ
この記事は、長期ひきこもりの心理状況を知ってもらうことを目的に、すごく脈絡がないままですがありのままのプロセスを書いていきました。結論も書いていないのは、結論がないからです。結論がないといけない、と思っている考え方がこの世の中のひきこもりを量産してきたのではないか、とさえ思います。
メルチャンさんが書いたことを読んで、突き刺さるものがあったのがきっかけです。
どうせひきこもるなら、どうせ自由な時間があるのなら、すこしでも 未来にかかわりそうな楽しいこと、自分が笑えること、好きなことをしよう、ゲームをするならゲームの記事でも書こうか、とライティングをしている、ただその行動だけで自分はもう長期ひきこもりではなくあっていった物語を少しみなさんにシェアしたかったんです。
ネットにたくさんある、科学的事実や根拠ばかりの情報をライティングしている最近のライターに逆らうように、自分の主観的な体験をエッセーで書くことこの記事は、自分なりの「社会への抵抗」でもありました。
でも、ここまで読んでくださった方にはすごくしんどい気持ちにもさせたことかと思います。
本当にありがとうございます。 少しでもこの記事がどなたかに読んでいただいて、何かのヒントになれば幸いです。
