説得力のある文章とは②

前回のあらすじ

 前回の記事は、わかこくのサイトHPのサイト更新についての意見陳述に始まり、常体・敬体についての話がありました。また、その後もいくつかの説得性を増す条件を提示することを示唆しました。今回はその続きの話です。

ポイント②:エビデンス

 エビデンスという言葉を聞きなれない人も世の中にはいるかもしれません。かくいう私も、かつてディベートの大会に出場していた際に、ジャッジ(審査員)が「エビデンス」と発言していても、その意味を知らずに適当に流していた経験があります。

 さて、この「エビデンス」ですが、一部業界では最初の二文字を取り、「エビ」と呼ばれています。これの意味するものは「証拠・根拠」というものです。

 世の中に物事を訴える際に、必ずと言えるほど重要になるのが、この証拠というもの。理由は簡単で、世の中に70億とも言われる人が住んでいる中で、全く同じ経験をしている人は1人もいないからです。つまるところ、他人に自信の経験を訴えるためには、その客観性が必要であり、それを指し示すことが最も容易である手段が「根拠」であるということなのです。

 論文にも見られるように、世の中では一つの事実に対して、様々なアプローチを行うことが可能です。それほどまでに事実といわれることには多面的な見方が存在し、それに対する客観性が保証されないことには、あくまでも「個人・個体」として見られてしまいます。

 例えば、コンビニでAさんが列に並んでいたとします。そこに、後からBさんも並び、なぜかBさんの方が先に会計を始めることになるという事例があったとします。

 ここで、Aさんが「なぜBさんが先に会計をすることになるんだ。私の方が先に並んでいたではないか」と主張したとします。当然、この状態では、話を聞いた人たちはAさんの主張を信じ(あるいはそれを確実なものと思い込むしかなく)、Bさんを非難することになるでしょう。

 しかし、ここで防犯カメラの映像が入り「Aさんが並んでいたと思っていたのは、実は違うレーンで、会計の待機列ではなかったと店員が認識したため、Bさんが先に会計を済ませた」という事実が発覚すればどうでしょうか。

 一般的にみれば、本来あるべきレーンが示されていたにもかかわらず、それに則らなかったAさんに責任があるという結論になるでしょう。

 やはり、この事例だけでも多くの人が考え直すのではないかと、私は考えています。これは、日常の報道の中にも言えることで、近日の例でいえば、「コロナウイルスのせいでトイレットペーパーがなくなる」というデマが流れましたが、その騒動の数日後に、製紙会社が写真付きで、原材料があることを報告していました。

そもそも、皆さんCOVID-19って何かご存じですか?

 確かに、写真が過去のものを流用しているという可能性はありますが、それ以上に冷静に考えれば、コロナウイルスが直接トイレットペーパーの消失につながるわけではありません。仮にその製紙工場で感染者が出たために、操業が停止し、供給に支障が出るというのならまだしも、原材料がなくなると言った、近未来あるいは思い込みが原因であれば、それは非常に問題なことです。

 近年、私たちの生活はインターネットによって、「世界」に近くなったといえるでしょう。多くの情報を得ることができ、多くの情報を発信することができる。しかし、情報を使いこなすことができない人たちがいるということに、我々は常に意識を向けなければなりません。

 かつて30年ほど前に、第4次中東戦争が勃発し、トイレットペーパーがなくなるという騒動が起こりました。これを人々はオイルショック、あるいは石油危機と呼びます。私たちはこれを知りませんが、報道で「私は石油危機を経験したので、トイレットペーパーを買いに来ました」と発言した人を見かけたときには、開いた口をふさぐことができませんでした。

 いかに証拠が重要か。これに関してはもはや、全ての人間がこれに意識を向けなければなりません。そして、手元にある情報機器で、情報の信ぴょう性の有無を確かめなければなりません。常に報道が正しいと思い込むことも危険ですし、それに対して全て疑ってかかるのもまた、危険なことなのです。

朝日新聞
新聞がいかに主観的に書かれているかは、大手紙3紙を読むだけでわかります

ポイント③:主述の一致

 わかこくのライターや学校の友人らの文章を読んでいて、思うことがあります。それは、主述の一致が必ずしも行われていないということです。

 尤も、私もかつては親族や先生に大変注意され、今でもその時の記憶が残っています。

 世の中の文章には、多くの場合「主語」と「述語」が存在します。これは英語であっても、日本語であっても同じです。尤も、中には特殊な構文(分詞構文)が存在したり、日本語のように主語が省略されたりする傾向にある言語もありますが、よほどのことがない限りは、主語のない言語は存在しないのです。

 英語を中心に考えると、それらの重要性がはっきりします。

 I love you.

 中1レベルの簡単な英文です。日本語に訳すと「私は君が好きだ」となります。「月がきれいですね」などと訳した文豪もいますが、それは特殊な例として考えましょう(ちなみに、私であれば『あなたのそばにいたい』と訳します)。

 ここでは”I”が主語になります。これは、その動作の主体を表すもので、その動作自体が主体から始まるということを意味しています。また”love”は、ここでは動詞の意味でつかわれ、「好きでいる」という述語の働きをしています。”you”は目的語であり、これは述語に相当しません。

一文字だけで意味を表す「I」の特殊性

 ここで、この文から主語を抜いた際に、文がどのような変化を遂げるのか確認してみましょう。

 Love you

 日本語にすると、どうなるでしょうか。

 「君を愛している」

 一見すると普通の文章に見えるかもしれませんが、英語には「文章が動詞から始まる場合には、それを命令文としてとらえて読め」という鉄則があるために、これを適応すると

 「君を愛せ」という意味になります。

 日本語で主語を抜かした場合と、この文章が全く違うモノであるということがお分かりいただけたでしょうか。主語がない場合、やはり、これも文章の中立性に欠け「説得したいのかもしれないが、頭が悪いのでその主張さえ一貫してできないのだ」と、捉えられても文句は言えないでしょう。

 そのため、主語と述語、どちらにも気をつけながら文章を構成する必要があることは明白でしょう。

 重要な文法事項はまだまだ続きますが、読者の皆さんも集中力が続かないと思いますし、きっと確認する点が増えれば増えるほど、それは冷静さを欠いてしまうでしょう。そこで、今回はここで終わりたいと思います。次回も、説得性のある文章について書いていきたいと思いますので、乞うご期待ください。

大学の現役合格に向けて邁進してまいります。
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