小学校の頃にいじめにあった話

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そもそも、いじめとは何ぞや

 なぜ、いじめが起きるのか。その理由を考えたことはあるでしょうか。

多くの場合、その理由は単純なものです。

それはきっと、「仮想敵」を作るためでしょう。

仮想敵を作ることで、共通の敵ができ、どうじに団結心や仲間意識が生まれる。

そういった心理が、いじめの要因の一つにもなっていると思います。

米ソの冷戦は、時代を経て、米中の戦争になった

 同様のことが、学校でも起こっているのです。

もっとも、人間という生き物は社会の中で生きていく生き物ですから、社会つまり、少しながらもコミュニティに参加しなければ生きていけないわけです。

これは俗に「引きこもり」と呼ばれる方にも当てはまることです。不登校も、それが問題となる前提として、生徒は学校というコミュニティや家庭というコミュニティなど、複数のコミュニティに所属している、と考えられます。

 さて、このコミュニティを形成することは何を意味しているか。

そもそも、コミュニティは少数のところから大所帯を抱えるものまで、数多くのものがあります。きっと最小単位は「パートナー」で最大単位は「地球上に生きとし生けるもの」=人類となるでしょう。

 この中で、同じ学校の友達という関係は、このグループ分けでいえば、最小単位に近いものでだと思います。

ですから、友達のグループに参加をすることができなければ、教室のコミュニティからも迫害され、最悪の場合、社会的な「死」に直面することは大いに考えられます。

いわゆる「はぶり」

 では、そういった中で、いじめにあってしまった場合、どうするか。私の2つの体験談を交えながら語っていきたいと思います。

体験談~小学4年生の場合~

 最初にいじめにあったとき、私は小学4年生でした。いじめのネタなど、大したものではありませんでした。当時同じ方向へ帰っていた同級生から、自分が別の同級生と性的な関係を持っているという風に周囲に言われたことでした。

 当然そのような事実は無根でした。

 しかし、小学生にとって、いわば「神秘的」ともいえる性に、周囲、特に男子児童は興味津々でしかありませんでした。

それは同時に、その噂でさえも聞き入れてしまうということでした。

 その噂をきっかけに、私は周囲にいるクラスメートから次第に孤立していきました。

 さて、男子からも女子からも支持を得られない噂やレッテルが貼られた場合、どうすればいいのでしょうか。

 もちろん、親の援護を受けられればそれに越したことはないのですが、今回の場合、性的な用語を指して「こんなことを言われたよ」などと、恐れ多くて口に出すのもはばかられてしまいます。

 そんなときに、味方になってくれたのは当時の担任の先生でした。やはり、この手の相談は先生が一番、把握して対処してもらいたいものです。

 先生に「こういうことを言われました」と相談しても、私を責めるとなどはありませんでした。

 それどころか、そのいじめの話を先生に伝えると、瞬く間にその話は周囲に広がり、親の説得はもちろんのこと、学級会まで開かれるようになりました。

先生の介入は学校という閉鎖空間の中では「絶対的」な権力を保有する

 その後、問題の原因となった彼がどうなったかについては、私が知るところではありません。

 尤も、次の年度から彼とは別のクラスになり、そのさらに翌々年度には違う学校に進学してしまったがゆえに、何の情報も入らなくなってしまっていたのです。

担任の先生が味方に付いてくれる場合、それほどの大きな後ろ盾はないでしょう。

 いえ、むしろ学校という社会においては、最も強い権力を持った人間が「校長」であり、その次に「担任」であったはずです。

 そのため、担任は公平でなければならない、そしていじめに対して毅然と迅速な対応を取る。そうでなければ、先生になる資格などないのだと私は思います。

 人間感情を持っての「好き」や「嫌い」があったとしてもです。

体験談~あれ?~

 ここで、問題となるのは、私が小学6年生のころのいじめです。

 当時の私の小学校は、いわゆる「学級崩壊」が起こっていました。

 特に私のクラスの場合、男子児童と担任の仲がすこぶる悪く、男子児童と女子児童の仲も悪く、女子児童の一部と担任の仲も悪いという、全ての関係において最悪な状況でした。

 事件はその中で起こったのです。やはり「ホモ・ソーシャル」という考え方があるように、特に男性の人間関係においては、その「フラットさ」が重要な点になってきます。つまり、横の連帯感を強めるということです。

 そう考えれば、当時の私は異色だったともいえるでしょう。特に、学力面でいえば市内でトップクラスとしての成績を収めており、学力水準も高いといわれていたために、クラスの中ではどうしても「浮いた」存在になっていたのです。

 それをいびってのことか、クラスの男子からは強い風当たりを受けるようになりました。

 特に「スポーツ系」などと呼ばれる、運動部に所属していた男子からのバッシングは強かったのです。

 初期のころは罵倒などで済んでいましたが、時間を経るにつれて、その行動は徐々に過激になり、最後には殴る蹴るなどといった行動に及ぶほどでした。

助けを求められない恐怖は、ひきこもりのきっかけにもなる

 そんな中、やはりその時も同様に、担任の先生に対し、自分を助けるようにSOSを発信しました。しかし、相手の答えは、その予想を大きく裏切るものだったのです。

「あなたが悪いのよ。やめてと言わないから」

 正直、理解しがたいものでした。殴られて「痛い」と叫んだのに「やめて」と言わないから殴られ続ける。

 彼女の言い分はそれに近いようなものでした。

一般的に考えて、痛いものを続けろ。それもたんこぶができるほどの内出血を児童に負わせておきながら、なぜ「やめて」と言わなければやめなくていいという理論になるのかが理解できなかったのです。

 その時点で私にとって、先生は「敵」という存在に変わりました。少なくとも、味方ではなかったはずです。

 しかし、学校という社会。特に年度途中にクラスを変更することなど、ほぼ不可能に近いことだったのです。ましてや、当時の私は公立中学校の受験を視野に入れるほどで、当然「内申書」と呼ばれる評価報告書を中学校に提出しなければなりませんでした。

 それゆえに、先生の中での印象は悪くしてはならない。今にして思えば、非常に恥ずかしいものでしたが、やはりそこで先生に屈することで人生を棒に振るくらいであれば、その耐えがたきを耐えた方が自分の人生に大きな正の影響を与えるものだと思ったのです。

 さて、そういったことがあり、私は一人で戦うことになりました。

親を頼ればよかったといわれるかもしれませんが、やはり親も親。

そもそも、学校なんてものは児童と先生の理解によって成立する社会ですから、親がそこに介入することは避けたいわけです。

 さらに、当時の私の親は「0か1か」タイプでしたので、物事を行うときは徹底的に行う人間だったのです。私はどうしてもそれを避けたかった。

もし親に言えば、徹底的にこの事件を大事にして、いじめた相手の家庭にも怒鳴り込んだりしてしまうのではないか、という恐怖です。

地元とのつながりを断ち切りたくはなかった。そういった背景もあり、私は一人で戦ったのです。

 つらく、苦しい戦いでした。そんなとき、支えになっていたのは、自分の「誇るもの」でした。

やはり、何かの後ろ盾、また何か自分を肯定してくれるものがあることは自分が生きる上で重要なものになってきます。

それが自分を自分たらしめてくれるのです。

 そういったものがあってほしい。あれば耐えられる。なければ見つける。そういったことを、現在いじめを受けそうになっている人たちにはぜひ探してもらいたいと思っています。

 いじめという経験は、その時はつらいかもしれませんが、いずれ絶対に自分の中での糧になります。

そう思って、屈せず、だからと言って逃げるなとも言いませんが、周囲に相談できるような人間になれればなと思うのです。

あの経験があって、今の自分がある

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