年金制度は必要か

Share on facebook
Facebook
Share on google
Google+
Share on twitter
Twitter
Share on linkedin
LinkedIn

そもそも年金とは

 マクロ経済スライドなどの経済用語が出てきて久しい近年。もはや年金問題は破綻を迎えようとしています。では、そもそも年金とはいったい何なのでしょうか。

 年金とは、1961年に始まった制度です。よく言われるのが「若い頃にお金を渡して、老後にそのお金を給付してもらう」というもの。しかし、正確に言えばこれには若干の間違いがあります。確かに、若い頃に年金を納付して、老後にお金をもらえるという制度は間違っていません。しかし、それは一人の人生を見た時の「年金」です。実際にお金のやり取りを見ると「年金制度」とは若干それは異なってきます。

 実際には年金は「スライド」しています。最も簡単に言えば「若い人からお金を巻き上げて、老人の方にお金を渡す」ということです。若干乱暴な表現も交えましたが、実際にこれほどの金額をさらに、半強制的に(死んだり生活保護をうけたりしていれば支払わないが、基本は支払う必要がある)お金を支払いさせられるというのは、ほとんど「税金」ともいえようモノなのです。

 さて、では、これの何が問題か。ここまで読めば大体の方がお分かりかと思いますが、年金制度は、納付される額が納付する額を超えなければ、もっと簡単に言えば、給付する相手が納付する相手よりも少なくなければ、制度自体が崩壊するのです。ないところからお金は発生しませんから、当然のことなのです。

引用:厚生労働省 平成30年度資料

 つまり、この弱点は、社会が少子高齢化時代を迎えると同時に一気にその点をつかれ、崩壊へのカウントダウンが始まるということなのです。

 現在、日本の出生率はどんどんと低下していっています。2005年の記録を大きく塗り変えることもないものの、現在もどんどんと人口が減っているのが現状です。

 しかし、同時に日本は長寿命化も進んでいます。なかなか人が亡くならなくなってきたのです。現在、私たち高校生と呼ばれる年代の人間は、平均寿命が100を超えるとも言われています。

 しかし、どうでしょうか。先ほども申し上げた通り、年金制度は納付額を給付額が上回ってはならないのです。つまり、私たち高校生がお金をもらうためには、私たちよりも後の世代に対し、よほどの苦労を強いるということを表しています。

 少ない人数で多くの人数を養っていかなければいけないので、当然といえば当然です。これに対して、国は「資産運用」という形で年金を運用しようとしていますが、どうも中の人の腕が悪いのか、何億円もの損失を出してばかりです(これがあるないでも、大きな違いだと思うのですがね)。

年金制度は善か

 では、私たちの時に本当に年金がもらえるのか。ということになります。事実上不可能に近いでしょう。現在の納付金と比べると将来私たちがもらうときには、もっと納付額は減っているはずです。少なくとも、このままの出生率と長寿化が進めば、そう言ったことは火を見るよりも明らかです。

 それでは、私たちはどうすればいいか。昨年、老後2000万円問題というものが話題に上りましたが、私はまさにこれほどのお金が必要だと思っています。そもそも、全てを年金に頼れないのでは、やはり働かなくなってしまう老後にはそれほどの貯蓄がなければやっていけません。

 そこで、私たちが何をしていかなければならないか。それは、年金問題を終わらせて、自分たちで地道に貯金をしていくことではないでしょうか。そもそも、2000万円で本当に解決するならば、それ以上に簡単なことは存在しません。例えば、一日に2000円の貯金をするとしましょう。時給で考えてもコンビニバイトを3時間ほどすれば十分にたまるお金です。それを毎日積み立てていきましょう。すると、働けなくなる60歳までには2000万ものお金を貯めることが可能です。さらに、そこから20年の長生きをするとすれば、一日あたり稼いだお金の1.5倍を使うことができる。これほどの現実的な解はないでしょう。

 そして、年金制度を終わらせることで、それからの若者は年金の納付をしなくて済むようになります。その分のお金から一日あたり2000円の貯金をねん出することは、それほど苦なことではありません(月に6万ほど)

 これほどのお金を貯めることができれば、老後は乗り切れ、社会自体ももっと活性化するはず。そう言った幻想を私は抱いています。

 もちろんこの話が過激さを含んでいることは承知です。しかし、そもそも最初に年金を給付してもらった人間は、年金を納付していないということを知れば、今崩壊させてしまった方がのちのためにも重要であるということは一つの選択肢として存在してもいいのではないかと、私は思うのです。

関連記事