海外で知見を広めた話①

目次

①はじめに

 皆様、お久しぶりです。ライターのsanada_maruです。新型コロナウイルス感染症の拡大防止のために出された緊急事態宣言から1か月が経ちました。学校は休校となり、外出することもままならない現状では恐縮ではありますが、この度、夏休みや来るべき時期を見据えて自身の海外体験をここに執筆させていただきたいと思います。

②始まり

何も日本だけが世界ではない

 私が海外に行ったのは、去年(2019年)の夏休みのことでした。とある財団が企画したもので、海外(アジア圏)の高校生同士で、「食」について議論するというものだったのです(これより先は、個人情報保護の観点から抽象的になります)。

 とはいっても、当然ながら、誰しもが参加できるというものではありませんでした。多くの旅行にも設けられているように、この企画にも参加人数の制限が課されていました。そのため、そもそもは学校単位での応募だったものの、学校内でも「誰が行くのか」という選考が行われたのです。

 当時、私は「海外に無料で行けるのだ」という浅はかな考えと、「友人が誘ってくれた」という事実に魅了され、半ば「どっちでもいいや」といった考えでその選考に臨んでいたのです。これは、後になってわかったことなのですが、他校では、厳選なる書類選考、会話力選考、思考力選考などの英語技能が試され、その中を勝ち抜いた「戦友」が参加していたのです。一方、私たちの学校では、チームごとのくじ引きで参加メンバーが決定され、私は運よく、選ばれてしまったのです。

 一見すれば、ラッキーに見えるかもしれない、この選考基準ですが、後に良くも悪くも私に影響を与えることになったのです。

③英語での議論

英語によるディベート

 欧米各国とアジア各国の違いの一つに、言語の違いというものがあります。例えば、カナダでは公用語が「英語」ないしは「フランス語」とされています。もちろん、訛りなどはあるとは思いますが、「カナダ語」という言語は存在しません。「アメリカ語」なども同様です。これらは、全て「ラテン語」を基に各国の訛りが入った、いわば「近親関係」にあると言えるでしょう。

 対して、アジアの場合は「日本語」「中国語(種類豊富)」「インドネシア語」など、ほとんどの国が独自で民族の言葉を持っています。つまるところ、「琉球語」などと称される沖縄の言葉を全て理解できるかと尋ねられば、それに首を縦に振る人が少ないのと同様です。

 したがって、アジア圏においても、議論は英語で行われます。各国の言葉に合わせるよりも簡単だからです。では、この時どういう問題が発生したか。それは、「英語がわからない」という問題です。

 当時英検準二級保持者(その後二級を取得、現在は準一級相当)の自分でさえ、一筋縄ではいかなかったのです。一般的に考えれば「日本人」として生まれ「日本語」で教育を受け「英語」を第一外国語としている人の中で、高校生で英検準二級を持っていることは、「高校生としては当たり前」であったのです。

 しかしながら、現実はそうではなかったのです。尤も、他の国から参加しているメンバーは、親を外交官あるいは裕福な家庭に持つ人が多く、優先的に英語教育を受けているというものがあるとはいえ、「日本人の一般」はすなわち「アジアの一般」ではなかったということを意味していました。

 そのため、初期のころはメンバーとコミュニケーションを取るのも一苦労で、グループのリーダーには選出されたものの、その日のうちに「日本に帰りたい」と思うようになりました。それまでも何度か外国の経験があった私でしたが、これほどまでに心細く、そして自分の生まれ育った環境に戻りたいと思う気持ちを感じたことはありませんでした。

④感じた各国の「国民性」

最も印象に残ったのは中国人高校生

 話は戻るものの、この企画に参加するにあたり、財団から事前の研修会なるものが行われ、私たちはそのプログラムについて説明を受けました。その際に、担当の方からは「中国人はリーダーになろうとする」という説明を受けたのです。

 現在の米中貿易戦争、あるいはコロナにおけるウイルス応報、いずれにせよ、第二次世界大戦後の世界の覇権を握っていた米国に対して、中国は挑み、世界のいわゆる「リーダー」になろうとしていることがうかがえます。

 それを鑑みれば、「意識高い系」の中国人が思想の中に「リーダーになろう」というものを持っていても、何ら違和感を持たないものがありました。その後、見立て通り、中国人は、多くのグループにおいて中心人物となり、各国の生徒たちを引っ張っていったことが見て取れました。

 では、一方で日本人はどうであったか。それは、余りにも静かでした。もちろん、それが悪いことであるとは、私自身も全く思ってはいません。むしろ、それが「日本人」なのかと思えるような言うなれば「個性」のようだとも考えています。

 しかし、質問などの発言回数を見ると、やはり日本人の参加者は割合少ないように見えます。先ほども書いた通り、書類選考やら、会話選考やらを突破した精鋭たちでさえ、なかなか質問を行わないのです。尤も、私は「郷に入りては郷に従え」などと思い込み、質問することが出来ましたが、内容を深めるための建設的な議論ができたかと聞かれると、はなはだ疑問であります。

 ですが、やはりこれを見ただけでも、日本人が日本で過ごしているということと海外とは違うということが非常によくわかったのです。また、「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉のように、日本人は空気を読むことをよしとしますが、必ずしも国際的にそれがよしかどうかということについては、別の話が出てくるかと思います。

⑤海外は自分をどう変えるか

表彰の瞬間の感動は忘れない

 最終的に、議論の内容をグループごとに発表したうえで、評価・表彰が行われ、この企画は終了となりました。私たちのグループは、見事に表彰されるに値し、表彰台に立つことになったグループのリーダーであった私は、何か誇らしげなものを感じました。

 また、その後のパーティーで各国の生徒と交流することで、自分がどう見られていたか、どう見られるようになったかと、話す機会があり、国際交流、および自分の人格形成に大きな影響を与えたと言えるでしょう。

 その中で、一人の友人が私に話してくれました。「おめでとう!僕は君を応援するよ!」というものでした。今まで話したか、と聞かれると、やはり違うチームであるために交流の回数は多くなく、知り合いと言われるレベルにも達していたかどうかいささか不明瞭です。

 しかし、これだけは確実なことで、仮に私が表彰台に上っていなければ、彼は私に声をかけることがなかったのです。お互いに励ましあうならまだしも、彼の片方向の応援は、相手が私を知ってのことだったのです。知る機会など、表彰台に立つこと以外にはなかったのです。

 つまり、結果を残すことが、大きく自分を成長させてくれることであり、その成長自身は、自らで成長しようと思った者のみに与えられるということなのです。

 現在、休校期間が続き、自分で成長することが求められているこの時代。私は、この海外経験を基にして、さらに成長していきたいと考えています。

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