努力しない心理―ひきこもり考―

努力しない心理

目次

10代の不登校から30代のひきこもり、40代、50代までの長期のひきこもりまで、前世代のひきこもりが社会問題となっています。

ひきこもり、といわれる状態の問題としての本質は、

社会関係の能力が欠如して、孤立していること

であると私は考えます。

つまり、社会関係に入りたくても入れない、そのために働けない、働けないから食べていけない、食べていけないから親に頼るしかない(親に頼りたいわけではない)、親と対立してしまう、結果として、ひきこもりになって自室に閉じこもっている、という状況です。

つまり、「ひきこもり」それ自体の問題では、まったくありません。

ひきこもりになる背景には様々な要因があり、それに対する見解や解決方法は様々な支援者や研究者によって色々提示されてきました。

私たちが気をつけなければいけないことは、「ひきこもり」について本を書いたり研究したり、支援したりしている人は、「社会問題」としての「ひきこもり」に関心があってそれについて発信しているので、「ひきこもり」=問題として、一面的な前提化をしがちだということです。

しかし、「ひきこもり」=問題ではありません。

誤解されてしまいそうですが、 ひきこもっている人に、生活問題が何もない、といっているわけではありません。

「ひきこもり」はひきこもり本人以外の人=家族や支援者からみた問題に過ぎない、言葉の指し示しでしかありません。

ひきこもりには、社会人を立派にしていたのに急に無職になって引きこもりになった、とか、もともと対人関係が苦手で自分に合った仕事が見つけられずに孤立している、といった人々から、不登校からそのままズルズルと大人になっても引きこもりになった、という人まで実際には様々です。

親子関係の問題=親が子を評価してしまう問題

中国人の私からみた日本人の親子関係で、とても興味深いものがあります。

それは世間に対して家庭内の女子を否定する態度を取ることが、一種のマナーになっているということです。
たとえば、「愚妻」、「愚息」といった日本語がありますが、これは一種の謙遜表現です。 実はこの言葉は、古い中国で使用されていました。中国には愚息のほかに「犬子」といった言葉もあります。

東アジアの文化では、自分の妻や子供を自慢する、ということはしてはいけないことのようです。
「愚妻」「愚息」という表現を使わないとしても、家族のソトの人に対して自分の子供のことを自慢するようなことはしないでしょう。

実際に妻や子供が自分に自信をもっていて、隣にいる夫・父が「愚妻」「愚息」と自分のことを言っている分には、「そうなんですよ」「愚かなんです私」と受け入れられるかもしれません。

しかし、日本の場合、親子関係が破綻する状態で子が親に心を閉ざしているケースでは、親が子のことを本当に見下している、と子が思っていることが多いことが印象的です。

現代の中国では、もちろん親は子に厳しく人格上の問題や学業の成績を指摘します。
しかし、大家族ですのでそれを聞いている親族が、ほとんど必ずフォローといいますか、長所も指摘してバランスを取るのが子育ての基本マインドです。(これも中国の古典から、子育ての道徳を学ぶのですが=前の記事をご覧下さい。)こういった家族の評価が多様にあることで、子供本人は次第に自分の長所と短所が理解できるようになってきます。自分の存在を根こそぎ否定するような、日本の若者のような病み方はしません。

しかし日本では、本当に「愚息」が「愚息」と思い込まれてしまっていることがあります。これは親にとっても心外でしょう。


その場合、核家族化した両親かそのどちらかが、一方的に子供のことを否定的に評価(ジャッジ)している傾向が強く、子供が本当に「親は自分のことを低く評価している」という感覚をもっていることです。

兄弟姉妹で、学校の成績や学歴を評価して優劣をつけたりすることも日常茶飯事です。


このときに問題なのが、親が積極的に

「この子は学校の成績は悪いけど、生活の知恵があるわ」

「学校のテストはよくないけど、音楽がすごく得意だわ」

といった、適切な評価、つまり否定ではなくて肯定でもない、バランスよい意見が本人に実感されていればまだ良かったのかもしれません。
「ああ、私を否定しているのではなくて、指摘してくれているんだ」という感覚に留まります。


しかし親の人格が未熟で、一つのモノサシ(学業)だけで子の優劣が決められてしまうと、子が努力にあった成果が学業で現れない場合、学校の勉強が向いていない子にとっては、それだけで自分の存在を全否定されてしまうことになります。

学歴社会が強い東アジアの場合には、特に学校の勉強ができない、という場合には、絶望感が強くなります。
これ自体は、東アジア圏、中国や韓国にも共通した問題要因ですので、昔から中国でも大学卒業後に就職できない高学歴失業者・未就職者の存在が指摘されていました。
韓国では、インターネット中毒、として引きこもり状態の若者が2000年くらいから問題化しています。

重要なことは、いずれの国も「ひきこもり」という言葉で、これらの若者が問題化されていない、ということです。

引きこもりはニートと同じく、日本から輸入する形で一部の人たちによって問題化されていますが、それ自体が日本ほど問題化しません。

自信とは何だろう

私たちは誰でも人付き合いがしんどくなったり、仕事や社会生活から退却したい、と思う気持ちを持っています。
この傾向は、今では誰でもあるものです。
しかし、社会生活に戻る力がある人は、社会に自由に戻っていきます。
この力は、「自信」といえるかもしれません。

自信とは、努力をして成功した体験によって積み上げられていきます。
皆さんも、今までの人生でとっても努力をした記憶を思い出してみてください。
それが、成功して現在の自分のためになっている、と肯定的に思えるかどうか。
その努力の日々が苦しければ苦しいほど、「あれほどの努力を私はしたんだから、これからも大丈夫!」という自信がもてるはずです。
私の場合は、一日10時間も大学入試のときに勉強しました。
腱鞘炎になったり点滴を打ちながら、試験直前期を過ごしたこともあります。
今、振り返ると、あれだけ勉強したんだから、私は大丈夫だ、と思える自信の源になっています。若いうちに苦労することは、やはり大事です。

こんな風に、努力すれば、何でもできる、と思う人は、どんどん努力をしていくエネルギーを得ます。
ですので、一時的にひきこもりになっても、「なんとかしなくちゃ」と誰もが思うのですが、そのときに自己を改善する動機をもつことができます。

しかし、もし努力をしても報われた記憶がない人はどうでしょうか。
まったく努力ができないは、ソトの人から見ると怠けているように見えます。
「お前は甘やかされているのか、もっと努力しろ」といいたくなります。

しかし努力ができない人は、努力をするだけのエネルギーをもつことができません。その理由は、努力をしてもどうせ報われない、骨折りになる、そもそも努力が報われない、と感じているからです。

大学入試などがいい例でしょう。どれだけ毎日、10時間もかけて勉強していても、大学に不合格だったら、努力は水泡に帰してしまいます。まったく評価されない、といっていいでしょう。

しかし、自分のなかには努力をした!という実感はあるわけですので、実は落第者の周りの家族が、「努力したね」「あなたはやはり賢いから、来年受けたら受かるよ」といった声かけをしてあげたり、ランク下の大学に入学してからも「あなたは頭がいいんだから、相応しくない大学に入っている」と応援してくれます。

そんな精神的な応援をしてくれたら本人は自信をそこまで失わなくて済むかもしれません。やさしい言葉をちゃんとかけてくれる、失敗したりうまくいかないときに、「ほめるかほめないか」の二択で評価するのではなくて、自分と同じ立場で悔しい思いを共有してくれる家族であれば、家族に対する愛を子供がもてるものです。

一方で、うまくいかずに自信を失いそうなときに、家族が自分にプレッシャーをかけたり、家族によって傷つけられた子供は、家族を愛することができなくなります。たとえひきこもりにならないとしても、異性と結婚しよう!という気持ちに対して前向きになれなくなったりして、孤立していきます。

ひきこもりっているケースでは、親と仲良しの関係を保てるパターンと親と対立するパターンがある、これもまったく人・家族によってそれぞれなのです。

友達を作る能力が何より大事

家族が自分を否定ばかりする場合、別の居場所を見つけるチャンスがあります。それが、友達や恋人です。

「あなたの親は○○なんだ」「私の親も○○なんだ」と、逆に親を相対的に評価してくれる第三者で、しかも自分の味方になってくれる存在がいれば、毒親による自信喪失を引き起こさずに済むでしょう。

つまり、さとなかさんが書いている通り、長期でひきこもり状態になる人の共通点は、友達や恋人がいないか、それを作ることが苦手な人です。

たった一人でも親友と呼べる人がいれば、きっと人生は大きく変わりますが、それができなかった人は、自分以外の家族を含めた他人から否定しかされてこなかったため、対人関係から退却したい心理をもつようになります。

それは、普通のことだと思います。

まとめ

私はこの記事を書いて少し反省していることがあります。
それはひきこもりの問題部分や要因部分、親の育て方や日本社会についての分析ばかりをしてしまったようで、本当に私が言いたいことや、読んでいる人にとって「じゃあどうしたらいいの?」という質問に答えられていないことです。

次回以降は、そういった具体的なひきこもり状態の脱出ステップ、提案について書いていきたいと思います。

メルチャン

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