海外で知見を広めた話②

目次

①はじめに

 世界は大きく分けて、5つの地域があります。アジア、オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカです。さらに、その中には東アジア、東南アジア、西アジアなどなど、実に様々な区分があり、さらに国が、県が、市が、町が、地区が、家が、人がいるのです。

 つまり、世界には非常に多くの人々が住んでいる。人が集まって国を形成し、さらには世界を形成しているということはその逆であると言えるでしょう。

 とするならば、なぜ人間は争いごとを行うのでしょうか。日韓関係然り、米中関係然り。その争いを行っている人間のほとんどは、顔を合わせたこともない、相手の存在など認識したことがないのです。同じ国の中でも、例えば日本国内でさえ、自分以外全ての人間に会ったことがある人など居るわけがないのですから、これが外国となればなおも当然のことでしょう。

 では、なぜそう言った感情に人間は流されてしまうのか。あるいは、そう言った感情はどこから沸き起こり、どこへと消えていくのか。それを知るためには、やはり日頃住んでいる国の価値観の中から飛び出す必要があるのではないでしょうか。

②米国研修

 さて、今回の話も2019年夏の話です。前の記事ではアジアでの研修の話になりましたが、今回は世界の中心のうちの一つ、アメリカ合衆国に研修で言った話を記したいと思います。

 さて、アメリカと言えば自由の女神像であったり、あるいはディズニーであったりと、世界の最先端を行き、その文化を世界に広める国であるという印象を受けます。

 事実、第二次世界大戦の終結後、国連の本部はニューヨークに置かれましたし、第一次世界大戦(通称・欧州大戦)もアメリカの介入によって戦況が変化し、その後ウィルソン大統領によって国際連盟が成立したことを考えれば、アメリカの影響力は絶大なものであると言えましょう。

 そんな中、私が訪れたのは、とある南部の州でした。多くの方が聞いたことのない州です。

A vector illustration map of the USA.

 当然と言えば、当然のことかもしれません。日本の高等学校までの教育の中で、アメリカ北部の州は数度触れられることはあるものの、南部の州については南北戦争を除けばほとんど触れられることがなく、かつ産業の中心都市でなければ報道されることもないからです。

 すでにこの時点でお気づきの方もいるかもしれませんが、アメリカの南部の州というのはこういうところなのです。多くの日本人がアメリカという国を知っているとしても、それを個別に見れば知らないことが多くあるのです。

 さらに、この州ではシンボルとしての旗の中に、合衆国旗だけでなく、スペインであったりポルトガルであったりと、実に多様な国家の旗が描かれているのです。

 つまりこれは何を意味しているのか。そう、アメリカの南部はそれこそ、多くの国の人間の集まりによって構成されていたということなのです。

 この時点で驚きを隠すこともできませんでした。今まで、アメリカはすごい国だと、報道で、あるいは教科書で、あるいは人づてに聞いていたその国が、実は移民によって構成されていたというのですから。

 例えるならば、全国の放送網に流れる煌びやかな芸能人を見て、「東京・大阪はすごいな」と思っている相手が、実は地方出身であったときのような感情でしょうか。

 とにかく、度肝を抜かれるような、そういう感覚でした。

③だから当然…

 そういうアメリカには研修と称し、約一週間ほど滞在しました。もちろん、研修というのですから日本人の集団で訪問したことは間違いありません。しかし、予想以上に日本人同士のかかわりはなく、ほとんどが個人個人の行動に任されていたといっても過言ではありません。

 いわゆる「ホームステイ」です。ステイホームではありません(笑)。

 さて、そう言った行動の中で、私は快挙とも黒歴史ともいえる行動を行いました。それは、議会においてスピーチをしたということでした。

 もちろん、話の相手は議会の議員さんや議長。さらには市長がいる前での演説で使用言語は英語でした。

 さらに、この演説はインターネットを介してyoutubeにアップロードされているというのですから驚きです。実にたどたどしい英語が世の中にさらされてしまったのです。

 しかし、スピーチの後、そのホストファミリーから告げられた言葉は意外なものでした。もちろん、下手だねと言われることはなかったのですが、それ以上に「まさかそんなことをするなんて」といった感心と驚嘆が交じったような発言だったのです。

 この時、私はアメリカの人々の心にある、人間としての根底を見たような気がしました。尤も、このファミリーを見ただけで断定をすることは非常に危険なこととも言えるのですが、あの「アメリカ」という国の国民がここまで「日本」という国の人を見ている。

 そういった感覚に襲われ、不思議と相手国への感覚が変わったような気がしたのです。

 井の中の蛙大海を知らずとは、まさにこのことだったのかもしれません。

④向いている国は人それぞれ

 その後、数度の交流を経て、ついに帰国する日がやってきたのですが、最終日の空港において、現地の方からかけられた言葉があったのです。

 「そのチャレンジ精神は、アメリカにも向いている。いつか必ず帰ってこい」

 そう言った言葉でした。もちろん、ナショナリズムの高まりなどにより、アメリカ社会が分断の中に入ってしまっているということは否定できませんが、それでもなお、アメリカの国というのは「移民の努力の結晶」とも言え、今の大国としての体をなすためには努力があったということは確実なものでしょう。

 尤も、現在私たちが生活している中では、何が正しくて、何が間違っているかといった正確な定規などどこにもありません。尺度は相対的にみて、主観的にみて、その中で出された結論によって成り立っているのです。

 しかし、それであっても、他国の情報を生で見ることこそ、現在の人間にとって最も重要であり、海外に行くことでしかそれを確認することはできないのだと痛感する次第なのです。

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