わかもの応援インタビュー第3回 ~仕事と尊厳について~

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2013年8月、蒸し暑い台湾で、ソーシャルファーム型の創業支援を行っている社団法人の理事長、劉天富さんにインタビューが実現しました。いきなり大阪から飛び出してアジアの番外編!?

「若者」という漢字には、「弱者」の意味がある!?

まずは自己紹介からさせてください!
 「わかもの国際支援協会」さんは台湾では「青年国際支援協会」になりますね、というのも「若者」という漢字は中国語に存在しないのです。強いて言えば「弱者」と同じ発音となるため、「若者」は「弱い人」を意味しているのかな、と最初思いました。実際に若者は社会では弱い立場になってきています。台湾でも現在は若者の失業率は深刻で、上の世代が若者を搾取してるような構造があります。若者の給料は最低賃金の時間数積算で支払われる程度なんです。家賃50,000円位の台北で若者に支払われる給料は、80,000円くらいです。生活なんてできたもんじゃないですね。

起業・創業のきっかけについて教えていただけますか?
まず見ての通り、どうしてこの仕事をしたいか。自分自身に身体障がいがあった、ということがやはり大きいでしょう。最初の仕事は車椅子に乗って、屋台や路上でティッシュなど、簡単なものを販売することでした。現在も台北ではよく見る光景ですよね。しかし心の中では、それは本当の仕事ではない、と感じていたんです。 精いっぱい自分にできることをやってみても、結局は「私の姿を見てください。この障がい者にお金をください」ということが伝わってしまうことに、何かひっかかり続けてたんです。

台湾、台北市大安。下半身不随の障がい者は、荷台に身体を乗せて腕で地面を押して移動。路上で男性用の下着を販売している。
台湾、台北市大安。下半身不随の障がい者は、荷台に身体を乗せて腕で地面を押して移動。路上で男性用の下着を販売している。
台北の若者街、西門町。 障害者はクルマ椅子から降りて地面に伏せながらハーモニカを演奏し聴衆からお金を乞うている。
台北の若者街、西門町。 障害者はクルマ椅子から降りて地面に伏せながらハーモニカを演奏し聴衆からお金を乞うている。

「尊厳」を求めて仕事を始めた

できることを精いっぱいするだけでは駄目だったんですか?
自分自身の尊厳を失いそうになっていたんです。身体に障がいがある自分の姿を晒して、少し不便であるというだけで「路上販売」という、危険でみじめで簡単な仕事をして、自分の障がいが同情と憐れみとともにビジネスとなっていることに自己嫌悪を感じていました。
私は自分自身の尊厳、つまり自分は特別の存在ではなく、社会的弱者なのではなく、私という1人の人間として「普通」と言われている一般人と同じ、ただ私は「生きている」っていう、それだけの尊厳を得るために現在の仕事を始めたんです。
そして協会を創設しました。 その理念は「身体障がい者のうち、専門技術を身に付けて職業人を目指している人の手助けする」というものでした。
起業したとき、いろいろご苦労があったんじゃないですか?
 台湾では職業能力開発を終えて就職までに至る期間に、「庇護工廠」という概念が存在しています。 教育訓練のあと、自分のスキルが実際の職業人として実務的能力があるかどうかを試すことができる期間です。つまり企業への就職等に向けて、アピールとなるような自分の実力を証明する実績を出すための期間なんです。

 12年目を迎える当協会ですが、最初の4年間で技術的な確信を得られました。しかし私が考える職業開発と就職支援の仕組みをいくつかの企業に提案をしてみましたが、軒並み断られていたんです。しかし、1つだけ返事をくれた企業がありました。神脳国際(SENAO)という、中華電信(Chunghwa Telecom)傘下の大手企業でした。

 そして自分で創ったプログラムで、教育訓練と上記の「庇護工廠」事業を開始して現在に至っています。たとえば主力事業である故障した携帯電話の修理といった仕事の場合、通信機器の流通大手である神脳国際(SENAO)に就職するには1日で20件の修理ができる人材が求められているとします。しかし職業訓練を受けた直後の人材にはその目標達成ができるかどうか難しい、本人も周囲も、企業側も不安なわけです。そういう場合に当協会で1日10件の修理を目指すところから開始するのです。その代わり、最低賃金程度の給料をもらいながら、といった条件で。当協会で神脳国際(SENAO)で充分に働ける職業人としての実力を確保できた時点で、人材の推薦書を書いて神脳国際(SENAO)に紹介します。
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ある人は庇護工廠に残りたい、という人もいます。実際の企業に就職すれば給料や待遇は良くなりますが、自分の体調や人生観に合わせてゆとりのある生活をしたい、という人にも「庇護工廠」は重要な役割を果たしています。現在、当協会に残っている利用者は7人、企業に就職した者は4人います。来月には7人のうちから1名、企業への就職することがが決まりました。他の人たちは、ここに生きがいややりがい、人とのつながりを求めて来ているようで、どうも収入や就職を目的とはしていないようです。それはそれでいいと思います。

職業人は場所を選ばない。自分の手で身につけた職業能力は、死ぬまで無くならない

どうして携帯電話の修理、という職業人育成をすることになったんですか?
 携帯の修理には難易度にばらつきがあります。主に簡単な修理については身体障がい者でも難なくできてしまうものです。そのため、挫折するということもありません。遺骨を入れるお納入れのデザイン・制作などといった仕事をやったこともありました。その他、いろんな仕事をしたものです。絵が描ける障がい者の場合、環境保護のためのイラスト・商品制作などにも従事します。しかし最終的には、手に職をつける専門技術をもった職業人の育成ということに辿りつきました。理由は、場所を選ばないからです。自分の手で身につけた職業能力は、死ぬまで無くなることはありません。 そして、携帯電話の修理、という主力事業については私達が選んだのではなく、時代が要求していたものと私達ができるものが合致した仕事であったに過ぎません。

人それぞれが自分ならできることがあって自分にしかできない仕事がある

人を教育して、人材育成するときに大事にしていることはなんですか??
 教育では生命・環境教育、というものを重要視しています。たとえば遺骨を入れる仕事の場合、多くの若者は「そんな気味の悪い仕事をしたくない」なんて言うものです。自分の仕事に、情熱と価値を感じられないんです。しかし仕事の意味、社会的な役割を伝えることも重要な職業人教育の1つです。たとえば「誰もが死を迎える、私達もその家族もだ。人の人生の最後を家族が心に刻むための仕事を私達はやっているんだ」といった意味を教えるのです。
 またイベントに参加した親子に対して、障がい者などの社会的弱者を蔑視しないで、人と人とのいたわりと相互理解のコミュニケーションをするように啓発します。「違いを蔑視するのではなくて!」というメッセージを発信できるのは、障がい者のような立場にある者の義務でもありやりがいでもあります。 そのため、次のようなことを教えるんです。
「この世界では、差別をしようと思えばいくらでも差別をすることができます。人との「違い」とは誰かに「助けて」と同情をかったり逆に蔑視をしたりするためにあるのではなく、人それぞれが自分ならできることがあって自分にしかできない仕事がある、ということを証明しているのです」といったことをいつも伝えて教えています。
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自分で自分のことを差別しない人は、すでに半分くらい成功しています

みんながみんな、すぐに職業人としての自覚をもって行動してくれますか?
 教育訓練前にある障害者にとっての困難は、いかに職業訓練に来るまでの習慣づけをするかどうか、いかに彼らに強いマインドをもたせるか、といったところにこの事業の難しさがあります。その際に私達が教えていることは「これはおカネのために必要な訓練ではなく、自分自身の尊厳のため、自分に自信をつけるために必要なことなんだ」といって励ますことです。
 成功する人、失敗する人の違いは何かというと、技術の差ではなく心(マインド)の違いがあります。前向きな人は成功し、後ろ向きな人は失敗します。自己管理能力がある人は成功し、ない人は失敗します。すべてはここに成功と失敗の要因を分ける差があります自分で自分のことを差別しない人は、すでに半分くらい成功しています。 心が弱い人、いつもうまくいかない人は、自分で自分のことを差別している人が大半だと感じています。

劉さんにとって、「仕事」ってなんですか?
 自分にとって、仕事とは・・・自己実現のための道です。そして自分自身の尊厳のための道です。間違っても仕事という言葉が意味するものの先に、同情なんてものをしてもらいたくないと思っています。自分は社会の役に立っている、社会の一部になっている、ただそれだけだと思います。仕事とは、みんなと一緒の世界の一部になることだと思っています。

【お店情報】
中華民國 社団法人 身心障礙者自立更生創業協會
障がい者の方を職業人として自立させ創業及び就労へ支援・促進する活動をしています。
住所:台北市大安區通化街39巷62弄22號1F
http://www.tpidc.org.tw/

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