はじめに
私たちが日々直面している若者支援の現場は、急速にデジタル化しつつあります。スマートフォンを中心とした日常生活、SNSでの交流、AIやゲームとの関わり。若者の暮らしのなかに、テクノロジーはすでに深く組み込まれています。にもかかわらず、日本のユースワーク(青少年支援)の現場では、「デジタル」と「ユースワーク」がまだ十分に結びついているとは言えません。
そこでWisaはデジタル・ユースワークについての調査研究プロジェクト「Wisaアクション・リサーチセンター and パブリケーション」を2025年度より自主事業としてスタートし、まず初めにフィンランドの先進的な実践をまとめた『デジタル・ユースワーク ― フィンランドの視点(Verke編)』を翻訳・紹介していくことにしました。
フィンランドは、若者の参加と社会的包摂を重視するユースワーク政策において、欧州でも高い評価を得ており、その中でも特に「デジタル技術をどうユースワークに活かすか」という点で、他国に先駆けた取り組みを行ってきました。自治体、教会、NGO、学校、行政、研究機関が一体となり、若者の視点に立った実験的・実践的なユースワークを展開しています。
本書はその成果を理論と実践の両面から紹介した、まさにデジタルユースワークの「教科書」とも言える内容です。
日本でも、不登校、ひきこもり、孤立、情報過多、依存症、ジェンダーや多様性の課題など、若者の生活とテクノロジーが複雑に絡み合う現実があります。フィンランドの経験は、日本の文脈にそのまま当てはめられるわけではありませんが、「どうすればテクノロジーを若者の成長や参加、安心、安全につなげられるのか」を考えるうえで、非常に多くのヒントを与えてくれます。
この翻訳紹介が、日本におけるデジタルユースワークの理論と実践を広げるための一助となり、支援者や教育者、研究者、政策担当者、そして何より若者自身が、より良い未来を共に構想していく手がかりとなることを願っています。
*翻訳紹介する文献は、クリエイティブ・コモンズ:the Creative Commons Attribution 4.0 International (CC BY 4.0) licenseとして翻訳公開ができるものを対象としています。
デジタル・ユース・ワークの柱(本文p.19 -22)
フィンランド・ユース・リサーチ・ネットワーク、トミ・ キイラコスキ(Tomi KiilakoskI
ファスコ(DANA FUSCO)教授(2012年)は、ユースワークにおける最大の課題を次のように表現しています。「私たちが何者であるか、何をするのか、なぜそれをするのかを定義する必要性が、かつてないほど高まっています」。 ファスコ教授によれば、ユースワークは、その実践だけでなく、その性質や目的を明確に意識的に努めなければなりません。この課題の特徴はすべて、一つの問題の所在を浮き彫りにしているように思います。これまでのユースワークの課題について、対応が不十分であったかもしれない、という問題です。
私の個人的な経験に基づいてまとめますと、ユースワークでは、自分たちのしていることについて紹介することがまずできることです。たとえばユースセンターでビリヤードをしたり、オンラインで若者たちにガイダンスやカウンセリングを行ったり、薬物乱用防止イベントを企画したり……。どのようなスタイルでガイダンスやカウンセリングを提供しているのか、どのような理念や前提でイベントを開催しているのか、それぞれの活動の根底にある意図を明らかにし、その活動に携わることでどのようなプロセスが生まれるのかを説明することです。この説明には意外と骨が折れます。さらに難しいのは、こうした活動を通じてどのような社会を築きたいのか、というビジョンの明確化も重要です。
とはいえ、ユースワークは、若者とその成長を支援する他のあらゆる活動と同様、ある種の社会的現実の共有に貢献し、今はまだ明らかとなっていない未来の社会を建設することに影響を与えていることに間違いはありません。ファスコ教授が強調した課題は、デジタル・ユースワークにも当てはまると考えられます。「デジタル・ユースワークとは何か、何を達成することを目指しているのか」についての共通理解が確立すれば、デジタル・ユースワークを既存のユースサービスとリンクさせることは容易でしょう。しかし、他方、ユースワークをその内部からのみ検討し続けることは、時代遅れになりつつさえあると思います。
今後、学際的な取り組みは、若者と地域社会の視点から、分野を横断してその役割を高めでいくでしょう。たとえば多職種間連携は、その活動が何を目指しているのかが理解されていればより容易に連携しやすくなります。ユースワークの定義は、前述の課題に何らかの形で応えるものでなければなりません。すなわち、手段や場を提供する、活動の学習環境について説明する、指導やカウンセリングの方法を解説する、目的を表現する、そして活動を通じて構築される理想的なコミュニティや社会のイメージを描いていく発信することです。繰り返しますが、これは意外と簡単なことではありません。特に創造的で実践的な活動において、官僚主義的で理論的な議論とバランスを取ろうとする真摯な現場であればあるほど、それはさらに困難な作業となっていく可能性もあります。
私は5年間の研究開発プロジェクトに参加し、ユースワークの性質、方法、目標、働き方について、当初はコッコラのユースワーカー、後にヘミェンリンナ、コウヴォラ、オウル、トルニオのユースワーカーとともに議論を積み重ねてきました。長年にわたり、私たちはさまざまな方法でユースワークの本質を説明しようとしてきたのです。この作業において、関連している諸概念を定義し整理する必要がありました。概念とは、私たちが物事に取り組むための道具です。この概念を大切に取り扱わなければ、自らの活動を冷静に省みることができません。ユースワークの名の下で行われることすべての取り組みを無条件に重要だと考えてきた専門職の人々は、自らの欠点に気づく機会さえ失うでしょう。関係する様々な概念の意味を理解することに取り組むことで、私たちはユースワークが最終的に何を目指すのかを考えることにもつながっていくのです。
ユースワークの本質への問いに対する私の答えは、3つの視点に基づいています。第一に、ユースワークとは教育であるということ。私たちは、ユースワークの流行の特徴である、例えばノンフォーマルラーニングという概念を使うことに抵抗があります。ユースワークを教育と言い換えることで、ユースワークが単なる学習支援ではないことを明示すべきです。ユースワークには基礎となる価値観と方向性があります。最終的には、若者が良い人生を送れるように支援すること、つまり、彼らが個性的な個人として人生のさまざまな機会に自己実現ができるように支援することです。それこそが教育なのです。教育を若者自身の目的意識もない学習の支援と同一視してしまうことは、「教育」と「学校教育」を混同することにつながっていまう危険があります。
第二に、ユースワークとは、一時的な出来事や発達の一段階に対する支援ではない、ということです。「今、ここ」で目の前の若者の事例(ケース)について語ることは、時に重要ではありますが、それ自体が目的と誤解を招きかねないません。ユースワークの対象期間は、それぞれの事例、状況によって異なります。ある若者との交流は数年に及ぶこともありますし、一過性の出会いしかない若者もいます。明らかに、活動の目標や成果は、それぞれの個性に応じてまったく異なるからです。ユースワークのプロセス、つまり、さまざまな活動形態が準備されていることでそれに応じたさまざまな出会いの連鎖をもつことが必要です。その際、当事者の目標や達成に焦点を当てるのではなく、プロセスに焦点を当てることが重要です。
第三に、予測不可能性です。ユースワークの教育プロセスが好ましい結果を生むことを目指しますが、その過程で何が起こり、どのような結果が生まれるかを予測することは困難である、ということです。それでもなお、ユースワークは、若者と一緒に活動することで好ましい教育成果が生まれるという信念によって支えられています。この成果は、質の高いユースワークが実施され、ユースワーカーが若者への支援をうまく提供し、彼らの主体化を可能とするプロセスから生まれることに変わりはありません。
これら3つの視点を合わせると、次のような定義が生まれます。「ユースワークとは、ユースワークの目標達成を可能にするプロセスを構築する教育活動を指す-“Youth work is defined as a goal-oriented educational activity where the process enables the achievement of youth work goals.” (Kiilakoski, Kinnunen & Djupsund, 2015)
この定義によれば、デジタル・ユースワークに関して以下のような問いを提示することができます:そのデジタル・ユースワークに特有のプロセスはどのようなものか? そのプロセスでは何が起こるのか? どのくらいの時間がかかるのか? 活動は主に個人、グループ、コミュニティのいずれかのレベルで行われるのか? 活動の目標は何か? その活動は、若者にとって、また若者と仲間、大人、サービス、社会との関係において、どのような成果をもたらすのか? さらに複雑な質問として、デジタル・ユースワークは、それ自体(例えば、テクノロジー社会で若者がグループとして機能することを支援する目的)のプロセスなのか、それとも他のプロセス(例えば、イベントに関する情報をオンラインで伝達すること)の一形態に過ぎないのか、という問いも生まれるでしょう。
ユースワークもその例外ではありません。プロセスは、ユースワークの既存の歴史、伝統、信条、つまりユースワークのエートス全体から影響を受けてきました。活動を計画する際には、このプロセスを意識しないといけません。
ユースワークの目的、エートス、プロセスを導く枠組みは、スウェーデンの研究者トービョルン・フォークビーが提唱した「柱」(pillar)を参考にすることで、洗い出すことができます。スウェーデンにおけるユースワークは、その歴史を通じて5つの柱に導かれてきました。この柱は、ユースワークが十分に包括的であるかどうか、また、柱のひとつが欠けていないか、あるいは他の柱を犠牲にして過度に強調されていないかを評価するのに有用です(Forkby & Kiilakoski 2014)。
以下、5つの柱について述べます。
第一に「民主主義の柱」は、若者が市民として行動する能力を高める上で、ユースワークが果たす役割です。民主的な意思決定を実践するためのさまざまな学習環境をユースワークの中に作り出すことによって達成される柱です。また、ユースワーク以外の社会環境への働きかけも必要とあります。
第二に「教育的柱」は、ユースワークの活動が若者の成長を強化し、彼らの能力を支援すべき現実的な役割を指します。つまり、ユースワークとは単に楽しい活動を企画したり、娯楽を提供したりすることではありません。これは、ユースワークを他の余暇サービスと区別するものです。
第三に「公衆衛生の柱」は、ユースワークが健康的なライフスタイルの支援です。ユースワークは若者の健康を促進し、保護し、その健康を脅かす現象と闘うべき取り組みなのです。
第四に「文化的柱」は、ユースワークが若者の文化的ニーズを考慮し、彼らが自分自身を表現する方法を見つける手助けをする役割です。ユースワークは、若者の生活における文化を強く意識し、若者らしい活動形態を支援すべきです。
第五に「社会政策の柱」は、社会問題を予防するためのユースワークの役割です。支援を必要とする若者には、的を絞ったさまざまな制度的対策を講じることができるはずだからです。
これら5つの柱のレンズを通してみますと、デジタル・ユースワークはどのように見えるでしょうか? 少なくとも、公衆衛生の柱は強調されがちです。ユースワーカーは、親世代からするとインターネットやデジタル文化に関連するネガティブなイメージから若者を守ることを、自分たちの責任のひとつと考えているのです。
一方、ターゲットを絞ったチャットや相談窓口支援は、社会政策の柱としても強い関心に間違いありません。若者がイニシアチブを生み出すためのチャンネルの多様性は、民主主義の柱が機能していることの良き証左でもあります。特に非政府組織は、若者の成長を支援するさまざまなウェブサイトや機能を備えています。
デジタル・ユースワークには、ご紹介した複数の柱が重複して見られる例もあります。一方で、5つの柱のすべてが十分に該当していない、という場合もあるようです。自己表現、グループ活動、民主的な参加といった他の分野が犠牲にされながら、セキュリティ関連の教育が強調される、などといった場合です(Tuominen et al.)。5つの柱しっかりと存在し調和していれば、ユースワークをより完全なものにすることができるのではないかと思います。
デジタル・ユースワークでは、必然的に新しく登場したデバイスについて学び、その使用環境について考え、様々な技術システムに精通する必要があります。デバイスレベルの課題には、他の形態のユースワークよりも慎重な注意が必要です。しかし、本質的な問題は教育の領域に包まれており、純粋なデバイスの操作技術ではありません。そのため、デジタル・ユースワークのプロセスを考え、目標を設定し、その達成度を評価することに、ますますの焦点を当てていくべきです。重視されるべきはそのプロセスであり、そのプロセスは若者の人生に喜びや学び、社会へ影響を与える機会を生み出していくことに他なりません。目標を持たずに活動に取り組んでしまえば漂流してしまう船出になってしまいますが、逆にプロセスである活動なしに目標をだけを定めてもそれは単なる空想の旅にすぎないのです。(「目標無き活動は漂流であり、活動なく目標は空想に過ぎない-people. To engage in activities without goals is drifting; to have goals without activities is mere dreaming」)。
次回へ続きます
訳注について
本書は、フィンランドのデジタル・ユースワークに関する報告書『Digital Youth Work – A Finnish Perspective』の内容をもとに、日本の読者向けに翻訳・紹介したものです。ただし、本訳は逐語的な完全翻訳ではありません。
原文は主にヨーロッパ、特にフィンランド国内のユースワーク関係者を対象としており、読者層を限定した地理的・制度的背景の記述や実務的な案内が多数含まれているため、日本の文脈では理解が難しい箇所や冗長と判断される情報については、適宜省略・簡略化を行いました。また、日本語としての可読性や論理的な流れを高めるために、段落構成の再編や語順の調整を行っている箇所もあります。
このような編集意図にご理解いただきつつ、日本におけるデジタル・ユースワークの実践と議論の促進に向けた一助としてお読みいただければ幸いです。